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(2005年2月1日付)
人道犯罪の処罰へ課題多く |
アウシュビッツ強制収容所が解放されてちょうど60周年を迎えた先月27日、追悼の記念式典が雪の舞うポーランド南部の強制収容所跡で厳粛に営まれた。
これに先立つ24日には、国連総会の特別会合が開催された。登壇したホロコーストの生存者で、ノーベル平和賞受賞者のエリー・ヴィーゼル氏は述べた。「私たちは、ナチス・ドイツの犠牲となっただけではない。国際社会の沈黙と無関心の犠牲者でもあったのだ」と。
英国では、ハリー王子が仮装パーティーでナチス兵士の制服を着たことが暴露され謝罪した問題をきっかけに、ホロコーストの記憶の風化を懸念する声が広がっているという。アウシュビッツとは周知の通り、第2次世界大戦当時、ナチス・ドイツがつくった最大規模の強制収容所のことで、600万人ともいわれるユダヤ人をはじめとする犠牲者の多くがここで虐殺された。
このように、民族、人種など特定の人間集団の絶滅を意図して行われる大量虐殺を「ジェノサイド」と呼ぶ。最近では、スーダンのダルフール地方で起きたアラブ民兵による黒人系住民に対する殺害が記憶に新しい。このような重大な非人道的行為に対し、第2次大戦後の国際社会は、国際法違反の犯罪として個人の刑事責任を追及する試みを行ってきた。
その最初が、ドイツおよび日本の戦争犯罪人を裁いたニュルンベルクおよび極東国際軍事法廷であった。これらの裁判に対しては、いわゆる「勝者の裁き」などの批判はあったが、従来、免責が当然とされてきた国家指導者の行為を個人として裁いた点で画期的であった。
その後、国連は、1946年にニュルンベルク裁判の諸原則を確認する総会決議95を採択、48年にはいわゆる「ジェノサイド条約」を採択した。この条約ではジェノサイドを平時、戦時を問わず国際法上の犯罪とするとともに、国際刑事裁判所の設置を予定していた。しかし、その作業は冷戦期、棚上げとなったままであった。
冷戦の終結による地域紛争の頻発とそこでの非人道的行為に対して、国際社会は動いた。旧ユーゴでの民族浄化とルワンダの内戦で起きた虐殺を裁くために、国連安保理は旧ユーゴおよびルワンダ国際刑事法廷を設置した。そして、2002年7月、常設の国際刑事裁判所(ICC)がようやく発足した。
ここで裁かれるのは、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪である。しかし、裁判所は規程当事国がこれらの行為を裁く意思または能力をもたない場合に裁く権利をもつとするなど、国家主権との関係において決して万能ではない。また、米国によるICC規程への署名撤回や大国の不参加など課題は多い。
しかし、法と正義によって暴力と報復の連鎖を断ち切り、不処罰の歴史に終止符を打つうえで、裁判所の設置は国際社会における「法の支配」にとって歴史的な一歩といえよう。
国際人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センターによって設立され、ホロコーストの悲劇を伝える「寛容の博物館」を1993年に訪問した池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、次のように述べた。「私は『感動』しました。いな、それ以上に、『激怒』しました。いな、それ以上に、悲劇をいかなる国、いかなる時代においても、断じて繰り返してはならないと、未来への深い『決意』をいたしました」と。
アウシュビッツ解放60周年にあたり、過去の歴史を直視するとともに、未来への誓いを新たにするものである。
(創価大学教授)