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(2004年9月7日付)
鍵となる市民の自立と連帯 |
昨年(2003年)3月19日、イラク戦争が始まろうとするまさに開戦前夜、創価大学で行われた卒業式に招かれた国連のチョウドリ事務次長は、創立者の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長との会見の席上、次のように述べた。
「池田博士が主張してこられたように、平和を欲するならば、平和の準備をせねばなりません。何より大切なのは、『平和の文化』を築くことです」と。
「それこそ根本の平和の哲学です」と創立者。混迷を深める現実世界のはるか先を見据えるかのような二人の語らいに、21世紀の希望の光をみる思いであった。
「平和」とは何か。使い慣れた言葉でありながら、その定義は難しく、人によってもとらえかたは様々であろう。この問いに対し、世界的な平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士は、暴力の不在を「平和」と定義した。
博士によれば、暴力とは、人間に本来備わった肉体的精神的可能性の実現を妨げるものすべてを指す。ひとつは、人が直接手を下したり、行為主体が明確な「直接的暴力」である。その典型が戦争やテロ、犯罪であり、直接的暴力のない状態を「消極的平和」とした。
しかし、戦争がなくても人々は、飢餓や貧困、人権侵害や環境破壊など、社会それ自体に組み込まれた支配や抑圧などに苦しんでいる。その原因となっている社会的な差別や不正義を「構造的暴力」と名づけ、このような構造的暴力のない状態を「積極的平和」とよんだ。
その意味で、20世紀は「戦争と暴力の世紀」であった。暴力の支配する世界をどう平和な世界に転換していくか、この一点に人類の未来が託されているといっても過言ではない。
そうしたなか、「人間の安全保障」という新たな概念が国際社会において注目を集めている。これは、冷戦後、顕著となった人間に対する様々な脅威の発生を背景に、従来の伝統的な国家の安全保障に対し、人間の視点から平和と安全の問題をとらえなおそうとする新たな枠組みである。
人間の安全保障は、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」という二つの要素からなる。これまで安全保障とは、外部の侵略からおもに軍事力によって国家の領土や利益を守ることとして理解されてきた。
しかし、冷戦後の紛争は、そのほとんどが内戦等の国内紛争である。先進諸国からもたらされた大量の武器や民族間の憎悪も手伝って、戦闘員よりもはるかに多くの一般住民が犠牲となっている。
また、紛争の結果、多くの難民が生み出されている。これら紛争や大規模人権侵害からの解放が「恐怖からの自由」であり、そのため国際社会には緊急的・短期的観点からの「保護」が求められることになる。
加えて、貧困や政治的抑圧、環境破壊、麻薬、感染症、教育や衛生分野での遅れなど、人間の尊厳と安全を脅かす脅威は数多い。世界には、1日1ドル未満での生活を余儀なくされている絶対的貧困といわれる人々が12億人いるとされ、読み書きのできない成人は8億6000万人、学校に通えない子供たちは1億2100万人にのぼるといわれる。
エイズ感染者は、世界で4000万人を超える。これら経済的・社会的問題に苦しむ人々の解放が「欠乏からの自由」である。この点において、人間の安全保障は、「積極的平和」にきわめて近い概念となる。そのために中・長期的には人々のエンパワーメント(能力強化)が重要となる。
これら人間の安全保障が対象とする人々の多くは、アジア・アフリカの途上国に集中しており、近年加速する国境を超えた経済活動、いわゆるグローバリゼーションの進展が、貧富の格差の拡大など、この問題に一層暗い影を投げかけている。
このような現状を前に、1994年、国連開発計画(UNDP)が『人間開発報告書』において初めて人間の安全保障という概念を打ち出した。それ以来、カナダや日本などで外交政策としても推進される一方、2001年には、日本の呼びかけに応じて「人間の安全保障委員会」が設立、委員会は2003年5月に報告書を提出した。
人間の安全保障については、概念としての曖昧さや「普遍性」への懐疑、議論の底流にあるグローバリゼーションそのものへの対応の甘さなど、批判があることも確かである。しかし、これまで時として国家のもとに虐げられてきた人間に目を向け、従来の国家の安全保障を補完し、もしくは対抗する理念として人間の安全保障が提起された意義は大きい。
それは、主権国家を基本単位としてきたウェストファリア体制への挑戦の意味合いも秘めながら、「暴力の文化」から「平和の文化」への道しるべとして私たちに期待を抱かせてくれる。
その「平和の文化」を提唱してきた平和学者、エリース・ボールディング博士と池田SGI会長の対談が現在続いている(月刊『パンプキン』誌上)。博士は、5人の子どもを育てながら、著名な経済学者で平和活動家として知られた夫のケネス・ボールディング博士とともに、平和と教育のよきパートナーシップを家庭に築き、それを社会に世界に広げてきた。
「人間は誰もが重要な存在なのよ」。母親から教わったこのことが、平和運動を貫く原動力になったと博士は述懐する。人間の安全保障の担い手は誰か。それは、国家、国際機構、そしてNGO(非政府組織)・市民社会である。
とくに、市民の自立と連帯、すなわちエンパワーメントは、「暴力の文化」を「平和の文化」へと変えゆく鍵である。暴力の絶えない世界にあって、人間の尊厳が守られ、可能性が開花しうる平和な世界の建設を願いつつ、草の根の連帯を深めていきたい。
(創価大学教授)
なかやま・まさし 1959年、兵庫県生まれ。創価大学大学院博士前期課程修了。専攻は国際法。共著に『地球市民をめざす平和学』、論文に「国際テロと国連安全保障システムの課題――米国による対アフガン報復攻撃と自衛権をめぐる議論を中心として――」など。2000年から2001年まで、ハーバード大学ケネディスクール客員研究員。