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世界情勢ウオッチ−国際法の視座から−

原爆忌と核廃絶への道

(2004年8月3日付)


池田・ロートブラット対談に期待


 59回目の原爆忌が今年もまた巡ってくる。広島・長崎への原爆投下は、1945年7月にアメリカがアラモゴード砂漠において、世界で最初の核実験に成功してからわずか1カ月後の出来事であった。それは、第2次世界大戦の終焉であったと同時に、「核時代」の新たな始まりでもあった。

 「解き放たれた原子の力は、我々の思考様式以外のすべてのものを一変させてしまった」とアインシュタインは述べたが、科学技術の進歩の象徴としての核兵器の出現は、皮肉にも人類を「ダモクレスの剣(=生命をおびやかす危険がいつも身に迫っている喩え)」のもとにおくことになった。

 核兵器の恐ろしさは、単にその破壊力にあるのではない。かつて『地球の運命』を著し、全面核戦争に警鐘を鳴らしたジョナサン・シェルが核戦争後の世界について表現したように、「死の死」をもたらすところにある。すなわち、人類という“種”そのものを絶滅させる結果、「生」がないから「死」もないとの意である。それを一層深刻なものとしたのが冷戦であった。

 米ソが核戦争の瀬戸際までいった1962年のいわゆる「キューバ危機」は、核戦争の恐怖を現実のものとした。1960年代、国際社会は、核兵器の拡散防止のための多国間協力を試みる。63年には「部分的核実験禁止条約」を採択、68年には「核兵器の不拡散に関する条約」(NPT条約)が採択された。

 核保有を米、ソ、英、仏、中の5カ国に限定するNPT条約は確かに不公平であったが、そこには核拡散による破滅だけは回避せねばとの非核保有国の切実な思いと譲歩があった。また、70年代から80年代にかけては、「戦略兵器制限交渉」(SALT)や「戦略兵器削減交渉」(START)など、米ソ2国間での軍縮交渉が行われた。

 冷戦終結は、米ソの対立が解けたという点において、人々に「恐怖の均衡」の終わりと「平和の到来」への期待を抱かせた。しかし、核廃絶への道のりは依然として遠い。とくに、ブッシュ政権の誕生と「9・11」事件以降、米国は単独行動主義を強め、すべての核実験を禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT、96年採択、未発効)からの離脱を表明した。

 また、「対テロ戦争」の中で、限定的な核使用の可能性が現実に語られている。しかし、大量破壊兵器がテロリストや独裁者の手にわたるのを未然に防ぐためとのイラク戦争の大義は、今大きく揺らいでいる。北朝鮮の核開発問題をめぐる6カ国協議の行方も気になる。

 そんな中、明年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」50周年を記念して、池田SGI会長とノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士との対談集が発刊されるとの報に接した。博士は、同宣言の11人の署名者の1人で、1957年に「パグウォッシュ会議」を創設、核物理学者として核廃絶運動に半生を捧げてきた。

 奇しくも同じ年(昭和32年)、創価学会の戸田第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表、その精神は池田SGI会長に受け継がれ、今日大きく発展した。「核兵器は人間生命の魔性の産物である。しかし、人間が生み出したものである以上、必ず人間の力で打ち破ることができる」。戸田会長の慧眼は、今日、ひときわ光を放っている。

 国家による努力は当然重要である。しかし、世界を変革しゆくのは、「平和」を願う私たちの強い意志と連帯ではないか。「核時代」には勝者も敗者もない。すべての戦争犠牲者の方々に祈りを捧げつつ、不戦への誓いを新たにするものである。(創価大学教授)