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(2001年8月28日付)
反対論、賛成論の渦巻くなかで、小泉首相は終戦記念日の前々日、国民の意表をつく形で靖国神社参拝を行った。
当然ながら東南アジア、とくに中国、韓国との歴史認識をめぐる亀裂はさらに深まることになった。
『AERA』(8月27日号)の記事「参拝で笑った人」では、「これで首相の公式参拝の道が開け、靖国神社国家護持への可能性も期待できる」という一部団体の危険な動きの台頭を示唆している。
同誌では「首相の即断即決や意志の強さを明示した」(東北大教授・川人貞史氏)、「ヒッチコック映画のクライマックスシーンのようだ」(脚本家・ジェームズ三木氏)など、“感情に訴えて批判をかわした首相の作戦勝ち”とする肯定派の声を並べている。
だが問題はそんな単純なものではなく、違憲、国家神道の本質、外交姿勢の根底となる価値観などの重要な課題が、十分な説明もないまま先送りされている点だろう。
なにより警戒すべきは、一部国会議員が執念を燃やす「国が靖国神社の経費を負担し、維持管理する」とする国家護持の法案(69年から74年にかけ何度か提出)の再燃である。日本遺族会では「今後の首相公式参拝への大きな布石となった」とみている。
とにかく参拝をめぐる波紋は大きい。
「参拝とともに小泉首相がなすべきことは、戦争下に日本が近隣諸国や自国の国民に押しつけた行為について、カタルシス(心理的浄化、慰籍)をもたらすような演説だったが、ついにその機会を逸した」(米歴史家、ジヨン・ダワー氏、『ニューズウイーク』8月29日号)との発言は正鵠を射た意見とみるべきだろう。
(山本栄一・ジャーナリスト)