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(2001年8月14日付)
参院選挙も小泉Vサインで終わり、いよいよ聖域なき構造改革の実現に向けての厳しいプロセスがはじまろうとしている。「改革の痛みをどう受け入れ、どう耐えるか」、その大合唱がいま日本中で起こっているが、国民の背に重くのしかかる“痛み”とはなにか。
『ニューズウィーク(日本版)』(8月8日号)のコラム「オン・ジャパン」で日本通の経済評論家ピーター・タスカ氏は「日本は“一億総マゾ化”しているようだ」といささかの冷笑をこめて語っている。
欧米の国民が想像する“痛み”とはどんな状況なのだろうか。彼によれば「祖父も父も息子も失業中。ヤミ市や麻薬が横行し、板を打ちつけた商店が並び、主要産業が崩壊し、それに代わる産業も育たない状態」となる。
1980年代、アメリカとイギリスが一足早く改革を経験したときは、この想像図がやや現実のものになっていた。インフレと慢性的な貿易赤字、自国通貨の弱体化に苦しみ、国の沈没さえ懸念されていた。
だが「今の日本は正反対だ」とタスカ氏は強調する。デフレに見舞われ、貯蓄額はふくらみ、円もなお強い。したがってなにも痛み痛みとそう心配することはないとエールを送っているのだ。経済危機に対する正しい処方箋は、個人消費の活発化、つまり壮大なムダ遣いをすることだというのである。
国は“痛み”の到来を前提とする「マゾヒズム的経済」でなく、正常で健康的な「カネを使う楽しみ」を国民に奨励することだと主張している。きっと出生率も上昇するだろうというが、これも一つの見解として耳を傾けたらどうか。
(山本栄一・ジャーナリスト)