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(2000年12月12日付)
祖国ニッポンに“飽食の”という形容詞がついて久しく、いつしか特別の感慨も失 われてしまったが、「私は食べ放題がキライだ」(『AERA』十二月十一日号)と いった記事を読むと、“食べ放題”という社会現象の裏に潜(ひそ)むこの国のドス 黒い病巣をのぞく思いがする。
記事はホテルのビュッフェでの一女性記者のたあいもない体験ルポで、「キライ だ」の理由も「自分の(食欲の)浅ましさに正面から立ち向かわなければならないか ら」という薄っぺらな内容だが、このところレストラン業界には洋風、和風、中韓料 理に寿司、デザートなどあらゆる料理が千円から五千円の比較的低価格で“食べ放 題”という趣向が蔓延(まんえん)し、街に看板も溢(あふ)れて老若男女の人気を 集めているというのである。
食卓にはヤマほど料理が並べられ、食べる時間の制限や残した場合の罰金もあった りして、食事という本来の厳粛な儀式はすでに消滅、いまやゲーム感覚に堕してしま っているようだ。この現状を看過(かんか)してよいものだろうか。
手っとり早く安直に豪華なグルメ気分に浸りたい客層と、客寄せや人件費の節減を 狙う店側の思惑が合致して、こうした風潮を招いたのだが、やがて全国的に広まると したら食料や残飯の量はどこまで増えるか、寒気すら覚えてしまう。
FAO(国連食糧農業機構)がかねて警告しているように、世界には飢餓線上にあ る人々が八億人、毎分二十八人もが飢えて死に、その大半は子どもだという。日本の 人口は世界の五十分の一、それが地球上の貿易用穀物の七分の一を輸入し消費してい る現実を一度は考えてみたい。日本での一年間の残飯は、米の年生産量と同じ一千万 トン、毎日、都内で捨てられる残飯量だけで、開発途上国の五十万の人々が生活でき るといわれている。
食糧物資の公正な配分と個人の欲望の抑制……正常への回復はもう望めないのか。
(山本栄一・ジャーナリスト)