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(2000年11月28日付)
「大山鳴動してネズミ一匹」も出なかった“反乱劇”の主役・加藤紘一氏は、自民 党の主流派から「熱いフライパンの上で踊るネコ」と酷評されたが、フライパンとは マスコミ…と考えればわかりやすい。テレビ、新聞とともに週刊誌の役割も大きいだ ろう。
十一月に入って、出版社系、新聞社系を問わず全週刊誌が森首相バッシングを一段 と強化した。「世論調査が怖い・森首相とマスコミ界ボス・料亭会談の中身」(週刊 新潮)、「目を覆う森首相の言動」(週刊宝石)などなど各種各様のまがまがしいタ イトルのオンパレードであった。
ここには焦点にすべき政策論争はない。連立内閣が成立させた法案の評価や政策へ の代案が論議されるでもない。ひたすら“森おろし”のマス・ヒステリー化であっ た。一九八五年、『ニューヨーク・タイムズ』は日本のこうした“相乗り報道”を 「パック・ジャーナリズム」と冷笑したが、その通り、相変わらずのパック、つまり マスコミが残らずワンパックに包み込まれたような寄り合い、集団報道であった。
どの媒体も主体性のない同じ調子の切り口で、しかもフランシス・べーコンが大衆 情報の基盤と揶揄(やゆ)する「市場のイドラ(噂話)」そのまま、永田町裏情報を 中心に推測、伝聞…といった次元での攻撃に終始したのである。
これでは森内閣の支持率低下を招くのも当然だが、下がったら下がったで、さらに 批判を増幅させ「やはり森はダメ、連立はダメ」の方向に世論を誘導する“マッチ・ ポンプ”手法は、フェアとはいえまい。
加藤氏はこれを“国民の声”と錯覚、不信任案提出が近づくと、週刊誌にも自ら登 場して、「『森打閣』の全てを語る」(週刊ポスト)、「わがメークドラマ・総理奪 取の第2幕」(週刊現代)などと気勢を上げ、「一〇〇%勝つ」と最後まで幻想に酔 った。そして敗北宣言、さて、今後の週刊誌の対応が見ものだ。
(山本栄一・ジャーナリスト)