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(2000年5月23日付)
次々に発生した少年による残虐な凶行事件は、いぜん列島を震撼(しんかん)させ ている。
各週刊誌もこぞってこの問題を取り上げ、『まじめで勉強できる子が危ない』(週 刊朝日・五月二十六日号)、『大人への宣戦布告、十七歳の暴発』(サンデー毎日・ 二十八日号)、『十七歳少年の凶走』(週刊ポスト・二十六日号)といった記事を一 斉に掲載している。内容は同工異曲で、事件を再構成し識者らを動員して、少年たち の心理分析により動機の究明を、という狙いだ。
ここにはさまざまな意見が並ぶ。「親は体を張って子どもをしつけなさい」「家族 が壊れ他者に向かう暴力」(サンデー毎日)、「毅然としない親の態度が問題を助長 する」「内申書重視に反抗できずいい子ほど鬱屈(うっくつ)する」(週刊朝日)
……こうした処方箋(せん)のオンパレードである。サンデー毎日では「思春期を 乗り越える5つのポイント」として「必ず解決できる信念を持とう。“いい子”のイ メージをおしつけない…」などを強調する。
いずれももっともなコメントに違いない。それでいながら、これら対症療法には一 抹の不満が残る。
それは問題の根幹へのアプローチが欠落しているためと思われてならない。
社会学者の清水幾太郎氏は「現代は飢えへの恐れを喪失した時代」と評した。人類 の歴史は飢餓への恐れとともにあり、その恐れが人間を律してきたといえる。飢えぬ ため人々は自らを律し、教え教えられて人間形成につとめた。学問も技術の習得も、 社会規範の順守も他者への思いやりも、すべてこれを基盤にした。
だが“飢えへの恐れ”が死語になった現在、それにかわって人間を律するものはな にか……この大きな命題にわれわれは直面している。
羅針盤のない空漠とした時代にあって、暴力に走る少年たち。こうしたテーマヘの 真摯(しんし)な取り組みを週刊誌に求めるのは、ムリというものだろうか。
(山本栄一・ジャーナリスト)