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週刊誌クリティーク

連載コラム
「週刊誌クリティーク」

【10】


17歳の凶行を各誌で扱うも同工異曲のアプローチに終始

(2000年5月23日付)


 次々に発生した少年による残虐な凶行事件は、いぜん列島を震撼(しんかん)させ ている。

 各週刊誌もこぞってこの問題を取り上げ、『まじめで勉強できる子が危ない』(週 刊朝日・五月二十六日号)、『大人への宣戦布告、十七歳の暴発』(サンデー毎日・ 二十八日号)、『十七歳少年の凶走』(週刊ポスト・二十六日号)といった記事を一 斉に掲載している。内容は同工異曲で、事件を再構成し識者らを動員して、少年たち の心理分析により動機の究明を、という狙いだ。

 ここにはさまざまな意見が並ぶ。「親は体を張って子どもをしつけなさい」「家族 が壊れ他者に向かう暴力」(サンデー毎日)、「毅然としない親の態度が問題を助長 する」「内申書重視に反抗できずいい子ほど鬱屈(うっくつ)する」(週刊朝日)

 ……こうした処方箋(せん)のオンパレードである。サンデー毎日では「思春期を 乗り越える5つのポイント」として「必ず解決できる信念を持とう。“いい子”のイ メージをおしつけない…」などを強調する。

 いずれももっともなコメントに違いない。それでいながら、これら対症療法には一 抹の不満が残る。

 それは問題の根幹へのアプローチが欠落しているためと思われてならない。

 社会学者の清水幾太郎氏は「現代は飢えへの恐れを喪失した時代」と評した。人類 の歴史は飢餓への恐れとともにあり、その恐れが人間を律してきたといえる。飢えぬ ため人々は自らを律し、教え教えられて人間形成につとめた。学問も技術の習得も、 社会規範の順守も他者への思いやりも、すべてこれを基盤にした。

 だが“飢えへの恐れ”が死語になった現在、それにかわって人間を律するものはな にか……この大きな命題にわれわれは直面している。

 羅針盤のない空漠とした時代にあって、暴力に走る少年たち。こうしたテーマヘの 真摯(しんし)な取り組みを週刊誌に求めるのは、ムリというものだろうか。

(山本栄一・ジャーナリスト)