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(2000年2月22日付)
新潟県柏崎市で、九年間も変質的な男に監禁された女性の心身の打撃は想像に余り あるが、その家族や近親者たちの深い心痛に追い打ちをかけるように、一部週刊誌は 監禁生活の極限的な状況をことさら執拗(しつよう)に書き連ね、報道被害をなお広 げようとしている。
「ロープで囲まれた2畳の昼と夜」(『週刊現代』)、「男は10数本のビデオに 撮り続けていた!」(『週刊宝石』)など虚実こもごも。
とくに加害者の実名、写真の公表で批判された『週刊文春』は、最初から「監禁飼 育」という表現で、女性への常識的な配慮を欠く記述を繰り返しているが、二月二十 四日号では「これでも犯人に人権が? 少女は袋詰めにされていた!」と大見出しで 続報した。
加害者の悪質ぶりを強調するつもりか。しかし限度もないノゾキ報道は、そのつど ボロボロになった女性の人権をさらに侵害するという認識がまったく欠落しているよ うだ。
傷ついた被害者側の心情を再三、土足で踏みにじる行為なのだ。さきの見出しを 「これでも被害者に人権が?」と書き直してみるがいい。また報道陣の被害者宅への 押しかけも非難されている。
同誌は「表現の自由」をつねに揚言するが、日本での「自由」の二文字は、本来、 英語では抽象概念としてのフリーダム、節度に支えられるフリー、放縦(ほうじゅ う)の意味のライセンスの三つに区別される。ただ読者の目を引き、売れれればいい という無責任な「表現の自由」は、反社会的で危険な「放縦な報道」にすぎない。
『新聞人の良心宣言』(新聞労連)でも「被害者の家族や周辺の人物には節度をも って取材する」が基本理念とされている。
むろん週刊誌にも当然に要求されることだが、自浄能力のないかれらに期待するの は、とうてい無理というものか。(山本栄一・ジャーナリスト)