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(2000年1月23日付)
読売新聞社の『週刊現代』『週刊アサヒ芸能』の広告掲載中止という決断は、ミレニアムの年頭を飾る快挙として、大きな喝采を博した。他の新聞の投書欄にも賛同の声が相次いで掲載されたが、一新聞社の方針にかくも外部の評価が集まったのは前代未聞で、多くの人々がいかに週刊誌の性過激広告を不快視していたか理解できよう。
しかし『週刊現代』はこの措置を“暴挙”とし、一月二十九日号で「読売新聞の『論理と倫理』を糾(ただ)す」と反発した。内容はここまでの両者の言い分を対立させ、最終的には「読売が話し合いに応ぜず掲載を一方的に拒否した」と主張するだけで、同誌に本質の認識や反省などを望むのはムリというものだろう。
そして「週刊誌の使命は新聞やテレビが報じない政治家の欺瞞(ぎまん)や官僚の動向、経済の実態をえぐることで、性の実情についても、世相・風俗の一現象として、論じることに意味がある」と強弁する。
さらに「性的な写真や記事がナマの社会をなにがしかの形で反映しているならば、掲載する意義がある」という開き直りに至ってはまさに笑止千万。家庭にも持ち込めぬ女性蔑視(べっし)の扇情的な写真のどこに、なんの意義があるというのか。売らんがために、もはや健全な社会通念すら喪失したようである。
また週刊誌の使命とする“実態をえぐる”とは捏造(ねつぞう)、中傷、名誉毀損(きそん)の同義語であろうか。反響の大きさは、たんに性広告ばかりでなく、同誌がこれまで重ねた数知れぬ人権侵害記事への痛烈なブーイングでもあることを肝に銘じるがいい。
いずれにせよ、今回の問題を性過激広告拒否のワクに限定することなく、ここまで汚濁化した週刊誌ジャーナリズムの在り方を見直す好機としてとらえたいものだ。 (山本栄一・ジャーナリスト)