

(1998年11月14日付)
不正を暴き、読者のモラルを喚起するのもジャーナリズムの役割だが、ひとつ間違えば、逆にその人を社会からほうむりさることにもなりかねない。それは大きな責任のともなうことだ。その自覚がないのは、ジャーナリストとはいえないだろう。
今週は、『週刊朝日』の「300万円で市職員になれる?」という記事が、こまかい事実を掘り起こした説得力のある記事だった。事件のあらましはこうだ。和歌山市職員が、自分の娘の職員採用試験で便宜をはかってもらう目的で、市秘書課長を通じて市長に依頼。受験した本人が「点がとれなかった」といっていたにもかかわらず、欠員が出れば正式採用される補欠合格になった。このお礼として、親である市職員は現金一〇〇万円を市長室で市長にわたした。そして、今月二日、市長と秘書課長は収賄容疑で逮捕された、秘書課長にも五〇万円と松葉ガニ四`を受けとった疑いがあるのだという。
これだけみれば、収賄金額も少ないし、それほど大騒ぎするほどの事件ではないかもしれない。が、職員の不正採用が三〇年間、三代の市長に受け継がれてきたとなると、ただごとではないだろう。しかも「一〇〇万円ですんだのは、贈賄側が市職員だった」からで、「平均すると三〇〇万円くらい」が相場だったという。そこからは市職員という安定した身分を、「利権」としてカネや票に換える地方政治の歪(ゆが)みが見えてくる。
市長や秘書課長の責任は大きいが、それを許してきた市民にも責任はあるはずだ。記事も「市内のあちこちで『不正採用は、どこでもやっとるんとちゃうんかい』と、うそぶく発言が何回も聞かれた」と報告している。モラルなき日本社会を象徴するような話だ。
ジャーナリズムには犯罪の事実を伝える責務はあっても、犯罪者を裁く権限はない。この記事に嫌悪感を覚えないのは、その点が配慮されているからだろう。
(玉木明・評論家)