

(1998年10月17日付)
週刊誌のウサン臭い記事は、どのようにしてできあがるのだろうか。今週のウサン臭い記事のトップは、『週刊現代』の「林容疑者夫婦VS警察『取調室の全会話』」だ。
はじめに「複数の関係者の話を総合して、両容疑者の取り調べの様子を詳述してみよう」とことわったうえで、林真須美容疑者と取調官の会話が、つづいて林健治容疑者と取調官の会話が、ほぼ三ページにわたって紹介されている。いちばんの疑問は、なぜ取調室の様子が記事にできるのかということだ。
記事中に「取り調べは県警捜査一課の捜査員と女性捜査員の二人が担当している」とあるから、その内部の様子は二人しか知らないはずだ。が、彼らが直接記者に接触することはありえない。彼らは調書、または報告書を警察幹部に提出するだけだ。
記者が話を聞けるのは、その幹部からということになるが、彼らも捜査の核心部分については口が堅い。せいぜい洩れてくるのは、立ち話ていどのたわいもない情報だ。
それを聞けるのは、地元記者クラブに所属している記者に限られる。結局、週刊誌記者の主な情報源は、その地元記者だということになる。たぶん「複数の関係者」とは、彼らをさしていると考えてほぼまちがいないだろう。
すると、『週刊現代』が紹介している「取調室の全会話」とは、伝聞に伝聞を重ねた断片的な、たわいもない情報にもとづいて、ときには想像をまじえながら再現された「会話」だということになろう。これがウサン臭くなくて何であろう。要するに、事実である保証はどこにもないということだ。
しかしながら、いったん記事になってしまうと、それがあたかも事実であるかのように伝播(でんぱ)していく。だからこそ、この記事にもとづいた再現映像を流すワイドショーまで出てくるのだ。しかも、困ったことには、週刊誌もテレビも、その重大性に気づいていないということである。
(玉木明・評論家)