

(1998年9月19日付)
私には子育てに成功したと思っている親の顔が想像できない。ズボラな親の一人としては、むしろ子どもに対してとりかえしのつかないことをしてきたのではないかと、正直なところ忸怩(じくじ)たる思いを抱いている親も少なくないのではないかと想像して、〈親はかならず子育てに失敗する〉という、手前勝手な公式を思い描いてみるのだ。
今週も各誌が「ニセやせ薬事件」を扱っていたが、自分がやったと名のり出た少女を一方的に断罪する記事が少なかったことに、いくぶんほっとさせられた。なかでも『週刊朝日』の「『いたずら心』に潜む優等生の苦悩」という記事には、それなりにうなずけるものがあった。その記事は少女のプロフィールを次のように伝えている。
「学級委員をやっていて、すごく頭がいい。英国数理社の五教科は何でも万能で、テストはいつも満点に近い。しゃべり方は上品で、髪形や制服も超まじめ。ルーズソックスなんて一度も履いたことがなく、いつもくるぶしまでの短い靴下だった」
こういう生徒は親や教師にかわいがられる、いわば典型的な“いい子”“優等生”だろう。が、その子にしてみれば、いい子・優等生でいつづけることは、そうとう辛いことだったにちがいない。無理に無理をかさねて、親や教師の期待に応えようとしてきたはずである。それに堪えきれずに、思い切ってハメを外したのが「クレゾール郵送」だったとしたら、これほど悲しいこともあるまい。
いまの子どもたちは、大人が考える以上の息苦しさ・生きづらさを感じているはずだ。親や教師も考えなければならないのもそのことだろう。親の一人としては、犯罪を犯した子どもを一方的に袋叩(ふくろだた)きにするような週刊誌の記事は見るに堪えない。せめて今回の、『週刊朝日』の記事のような、親が読んでもそれなりに納得できる記事であってほしい。
(玉木明・評論家)