

(1998年9月5日付)
和歌山の「ヒ素カレー事件」の報道がさらに過熱して、最悪の状況を迎えているようだ。『朝日新聞』の「事件前にもヒ素中毒」(八月二十五日朝刊)というスクープ記事以来、あらたに保険金詐欺疑惑が浮上してきたからだ。疑惑をかけられている夫婦の住む民家には、早朝から夜中まで常時一〇〇名以上のカメラマンや記者がはりつき、その家族の動静を見張っているという。
そんな状況下で『フライデー』が、望遠で撮ったその夫婦の写真(目線入り)を掲載した。が、結局はそれが別人の写真であることが判明。編集部は謝罪し、掲載誌を回収するというお粗末ぶり。その後を追うように、今度は『フォーカス』が本物の夫婦の写真(目線入り)を載せ、同時にその夫婦の経歴や私生活を徹底的に暴いている。
そのような報道にたまりかねたのか、その夫婦もマスコミ相手に「身の潔白」を主張しはじめたようだ。『サンデー毎日』は、四時間にわたるインタビューの模様を詳しく紹介している。もちろん、その夫婦にも弁解、反論の機会が与えられてしかるべきだろう。
しかしながら、最初にマスコミが嫌疑(けんぎ)をかけ、それに当人が弁解、反論するという構図は、どうみてもおかしいのだ。これではマスコミ報道が警察捜査よりつねに先行していた、かつての「疑惑の銃弾事件」の場合と少しも変わらない。
これはマスコミにとっては危機的な局面であり、マスコミ自体が考えなければならない重大問題であるが、それとは別に、警察にしか知りえない極秘の捜査情報がボロボロとマスコミに洩(も)れてくるところにも、問題があるのではないか。
うがった見方をすれば、捜査側がそのような情報を洩らすことによってマスコミ報道を先行させ、捜査をやりやすくしようという隠された意図もあるのではないか。そうだとしたら、マスコミは捜査の露(つゆ)ばらい役を演じているということにしかならない。
(玉木明・評論家)