

(1998年8月15日付)
今年の夏は、医療関係の研究会を主宰する友人に誘われて、蓼科、軽井沢、霧積(きりづみ)とまわる三泊四日の高原セミナーに参加した。集まった人たちは四、五十代の人が多かったが、年齢を感じさせず、みな意気盛んで、楽しいセミナーであった。
おかげで新しい知人もできて、私の交友関係もそれだけ厚みを増したことになる。セミナーに誘ってくれた友人には、おおいに感謝しなければならない。
そんなこともあって、『アエラ』の「さみしい日本人」という特集を興味深く読んだ。なかでも、家庭や会社から疎外される中高年を追ったルポは、他人ごととしては読めなかった。
たとえば、高校生の息子と折り合いが悪く、つい殴ってしまった父親。息子をかばってばかりいる母親とも折り合いが悪く、「女房と子どもとかわりばんこにケンカしている感じです」と語る。いまやどこにもありそうな家庭の光景だろう。
夜中の三時、四時まで働いて、また早朝から勤務という状態が三日も四日もつづき、月に一度も休めないときもあるという四十代後半の会社員。そのあげく、過労で倒れて入院したが、上司は見舞いにもこない。彼は「会社を大きくしようと頑張ったのに、冷たいもんですよ」と嘆く。このようなことは、程度の差こそあれ、多くの会社員が経験していることではないか。
まして、リストラの嵐が吹きすさぶ昨今ではなおのことだろう。これでは、日本人はあまりにもさみし過ぎる。
記事は「対人関係の再構築」が必要だという心理学者のアドバイスを紹介している。要するに「孤立するな」ということだろう。が、それがいちばんむずかしいことなのだ。
もちろん、なかには積極的に「仲間づくり」に励み、それなりに楽しく暮らしている人もいるにちがいない。そのような事例の紹介がないのが残念だった。いまは否定形の物語よりも、肯定形の物語が求められている時代のように思える。
(玉木明・評論家)