

(1998年5月23日付)
サッカーファンには、六月十日開幕のワールド・カップが待ち遠しいにちがいない。が、サッカーに興味のない人には、それも馬耳東風だろう。もちろん、それでかまわないのだが、今週の週刊誌は話題に乏しく、いちように精彩を欠いている。唯一注目を集めているのが、ワールド・カップだ。それで、今週はこの話題をとり上げてみる。
『ニューズウィーク』によれば、開催国・フランスの組織委員会は、期間中のテレビ観戦者が延べ三百九十億人と予想しているという。この数字は、赤ちゃんから老人までを含む地球上のすべての人間が、七試合を見る計算になる。ちなみに、それはアトランタ五輪のときの二倍を超えているのだ。もちろん、これは予想にすぎないが、そのような予想が出ること自体、いかにワールド・カップが世界の注目を集めているかを示していよう。
肝心の日本チームの勝算はどうか。『週刊現代』は、予選であたる三カ国の監督の談話を紹介している。アルゼンチンの監督は「日本戦の対策」など立てる必要はないと豪語している。クロアチアの監督も日本チームのことなど「よく知らない」と、鼻もひっかけていない。岡田監督が唯一勝てると踏んでいるジャマイカの監督でさえ、日本選手は「気が弱く」「引っ込み思案」だとたかをくくっているのだ。編集部ならずとも、「日本はこんなにナメられ」ていいのかということになろう。が、ここが考えどころなのだ。
たかがスポーツとはいえ、国際試合ともなると、それぞれのチームは国の威信をかけて戦うことになる。へたすると、ナショナリズムのぶつかり合いということにもなりかねない。が、スポーツはあくまでスポーツ。どこまでナショナリズムと切り離して楽しめるかがポイントだ。勝っても負けても、日本チームや日本のサポーターには、あくまでも爽やかであってほしい。それがスポーツ先進国の第一の条件だろう。
(玉木明・評論家)