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連載コラム
「週刊誌ウォッチ・ドッグ」

週刊誌ウォッチ・ドッグ

【9】



『フォーカス』“犯行ノート”掲載

安易な報道姿勢はジャーナリズムの自殺

(1998年3月7日付)



 二十年前に静岡県富士市で起きた銀行員殺人事件の犯人が、週刊誌の記者に付き添われて警察に出頭したというニュースが、新聞に大きく報道された。付き添って行ったのは、どこの週刊誌の記者かと注目していたが、今週の週刊誌を見て、それは『週刊朝日』の記者であることがわかった。

 その記事によると、昨年の十二月末、「実は僕が殺したんです」と、編集部に電話がかかってきたためだという。こういう場合は、よほど注意しないと危ない。それが悪質なイタズラ電話や嫌がらせ電話、あるいは妄想にとりつかれた人からの電話であることがほとんどだからだ。当然のことながら、その真偽のほどを確認しなければならないが、本人がそう思い込んでいる場合は、その確認にそうとう手こずる。ウソだと確認できれば、当然、記事にはならない。

 その真偽を確認するために『週刊朝日』の記者は四回本人に会い、延べ六時間にわたって話を聞き、その話が具体的で、真犯人である可能性が高いと判断、警察に出頭することを勧めたというのだ。この記者も編集部も、当然の手順を踏んだことになる。

 それならば、神戸の小学生連続殺傷事件で、医療少年院に送られた少年の「犯行ノート」とみられる文書を掲載した『フォーカス』の場合はどうか。記事ではその文書が、先月二十一日に「編集部に郵送されてきたもの」だということが明らかにされている。が、「送り主も、その意図も不明」とある。理解できないのもその点だ。

 誰が、どういう意図で送ってきたかがわからない段階で、その文書をそのまま報道することは、メディアとしてとるべき手順を踏まない逸脱行為に当たる。このようなことが堂々と罷(まか)り通るようになったら、ジャーナリズム自体が危機に瀕することになろう。メディアは何を報道してもいいということにはならない。どこかで歯止めが必要なのだ。

(玉木明・評論家)