

(1998年2月14日付)
子どものことで責められたら、親はどういう顔をすればいいのか。まして、子どもが犯罪をおかしたような場合はなおのことだ。本当は「お前の子どもが犯罪をおかさないと断言できるのか」くらいは言って、反論したいところだろうが、そんな言い方をしようものなら、総反撃をくらうに決まっている。結局は、ひたすら頭を下げる以外にない。
今週の被害者は、次男が覚醒剤所持で逮捕された女優。まるで彼女自身が犯罪者のように扱われ、思いつくかぎりの罵詈雑言(ぞうごん)が浴びせられている。とくにひどいのは「“母親失格”放任子育ての言い逃れ!」(『週刊女性』)「“大甘しゃん”子育てのツケ!」(『女性自身』)「シャブ息子擁護に『少年法』とは笑わせる」(『週刊文春』)の三誌。親の弱みにつけ込んで、ここぞとばかりに叩く手口は、なんともおぞましく、見るに堪えない。
もっとも、このようなやり方はいまに始まったことではなく、週刊誌がよくやる常套(じょうとう)手段だ。そのほうが「売れる」と踏んでのことである。その裏には「読者は人の不幸を喜ぶものだ」という、相も変わらない現実認識があるのはいうまでもなかろう。が、はたしてそうなのだろうか。
時代はおそろしいほどの速さで移り変わっている。それにつれて、読者の感受性も大きく変化してきている。週刊誌が前提にしている現実認識とは、大きなズレが生じているのではないか。週刊誌のやり方に、なんともおぞましいもの、見るに堪えないものを感ずるのもそのためであるように思える。それはまた、週刊誌の不振がつづいていることと無関係であるとは思えない。
もともと「読者は人の不幸を喜ぶものだ」という人間認識ほど、人をバカにしたものはなかろう。少なくとも週刊誌が思っているほど、いまの読者はバカではないはずだ。ただ、それを週刊誌が知らないだけなのだ。
(玉木明・評論家)