

(1998年2月7日付)
日本のメディアもこぞってクリントン疑惑に熱心だが、いくらそれを読んでも、真相は“薮(やぶ)の中”。それは、とりもなおさずメディアが確かな証拠もないまま、その疑惑情報を流しつづけたことを意味してはいないか。
先週号ではほとんどのぺージを割(さ)いて「クリントンの重大疑惑」を追及していた『ニューズウィーク日本版』も、今週号はかなり追及のトーンを下げて、「クリントン夫妻の大反撃」ぶりを紹介している。記事中に次のような気になる文面も見られる。
「マスコミの誤報も、ホワイトハウスの批判の的になっている。報道に対する国民の怒りは、クリントンの支持率を押し上げている」
メディアがいくら騒いでも、国民は冷静だったということか。同誌の調査では、国民の六一%が「メディアは必要以上の情報を流している」と感じており、四七%が「事実と噂(うわさ)を峻別(しゅんべつ)していない」と指摘、その過熱報道ぶりが、いかに国民の反感をかっていたかを示している。これが、あの情報源を明示し、責任ある報道をモットーにしてきたアメリカのメディアかと、目を疑いたくなる。
今回、何がメディアをそうさせたのか。これはよくよく考えてみなければならない問題だろう。日本の週刊誌を読むかぎり、その点に言及したのは一誌もなかった。ほとんどがアメリカからの情報に憶測をまじえ、さらにスキャンダラスな色付けをした記事ばかり。これでは論外である。
ただ、『朝日新聞』(四日付朝刊)の「メディア欄」だけが、その背景には「二十四時間ニュースを流すケーブルテレビ」や「インターネットを媒体とするニュースメディア」が激増し、より速く、「より新しいニュース」を求める圧力が強まっている最近のメディア事情があると指摘していた。そうなら、日本のメディアも例外ではないはずだ。とりわけ、ただでさえ無責任な情報をばらまく日本の週刊誌には、よほど気をつけないと危ない。
(玉木明・評論家)