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ワシントンDC通信


連載コラム
「ワシントンDC通信」
渡部恒雄

【3】


軍隊の暴走を防ぐ文民統制は機能しているか
実習船えひめ丸事故へのアメリカ世論の関心

(2001年3月6日付)


 二月九日のアメリカ原潜による、えひめ丸衝突沈没事故に関して、日本から寄せられる質問の多くに、この事故は、アメリカではどのくらい大きく扱われているのかというものがある。

 確かに、今までの沖縄における米軍の不祥事をめぐる報道に関して、アメリカでの扱いは極めて小さく、日本からみると歯がゆい思いをしている方が多かったかと思う。

 ▼米メディアの関心の大きさに2つの理由

 しかし、今回の事故は、連日新聞やテレビで大きく取り上げられている。特に、事故発生以来、民間人が同乗していたこと、それが原因で航跡図作製の作業を停止していたことなど、時間がたつにつれ新しい事実が続々判明し、米国民も海軍側の対応の誠実さに疑問を抱いているようだ。

 米国メディアの関心の大きさには二つの理由があると思う。

 一つは、アジアの主要同盟国である日本との関係重視を、選挙中から重要な外交政策と位置付けてきたブッシュ新政権にとって、このような事件で日本との関係を悪化させることは、その基本政策の出ばなを挫(くじ)かれることになるからである。ブッシュ政権もこの点を十分に意識して、早い段階での関係閣僚や大統領自身からの謝罪や、技術的困難さにもかかわらず、遺族の気持ちを考え、沈没船引き上げへ前向きな姿勢を示し、誠実に取り組んできたように思われる。

 そのような政府の対応に比べて、事故を起こした当事者である海軍は対応が遅く、情報隠蔽(いんぺい)や身内の保護を優先しているかのような不誠実な印象を、多くの日米両国民に与えている。実はこの点が、アメリカ人の関心を引きつけているもう一つの理由となる。それは、軍隊は市民を代表する政府の十分な統制下になければならないという、民主主義の基本であるシビリアン・コントロールが損なわれているのではないかという懸念である。

 アメリカでこの問題をいち早く指摘したのが、「アメリカ帝国への報復」という著書で、アメリカの軍事戦略を批判している日本専門家のチャルマーズ・ジョンソン氏である。氏は二月十九日付のロサンゼルス・タイムズ紙上で、「日本は我々のむちゃくちゃ(wanton)で、言うことをきかない(wayward)軍隊をどう思うだろうか?」という題で、現在のアメリカの軍隊に横たわる根本的な問題点を指摘した。

 ▼試されるブッシュ新政権の管理能力

 彼の指摘では、今回のえひめ丸の事故や最近のいくつかの事件は、もはや米国の軍隊が、少なくともシビリアン・コントロールという言葉で意味する限界を、すでに通り越してしまっていると結論付けている。

 例えば、一九九八年にイタリアで海兵隊の飛行機がスキー場のゴンドラのケーブルを誤って切断し、二十人の客の命を奪った。この際、海兵隊はイタリアで軍事裁判を行わずにアメリカ本土で行い、しかもそれを訓練中の事故として扱い、裁判に提出された「計器の故障」という証拠がものをいい、関係者は無罪となった。

 ジョンソン氏は、前クリントン政権では軍の幹部達は政府を信頼せず、クリントンの政治的弱みにつけこんでいたと分析している。そして今回の潜水艦事件は、ブッシュ新政権が軍隊をコントロールして、本来の責任ある立場に戻せるかどうかが試されている時であるとしている。

 おそらくは、このようなアメリカ国内での軍隊と民主主義のあり方に関する問題意識は、今後の事件究明プロセスと裁判において、関係者の明確な責任を求める日本の世論への大きな味方となっていく可能性がある。

 しかし、被害にあった遺族の方達の悲しみと怒りは当然としても、日本人全体があまりにも感情的になりすぎ、例えば今後、技術的常識を超えた船体引き上げ要求や、法的常識を超えた執拗(しつよう)な謝罪要求が続くと、今度はアメリカ世論とかけ離れ過ぎてしまい、日本側の求める事実の究明と公正な裁判への大きな味方を失い、結果的には、被害にあった遺族の方々のためにもならないということも考えられる。

 現在、民主主義を信奉する日米国民が求めるべきことは、軍隊が一般社会とは異なる独自の基準を振りかざし、市民とかけ離れた行動をとることを許さないという共通の世論形成である。これこそが、第二、第三のえひめ丸の悲劇を防ぎ、日米の良好な同盟関係を保ち、世界の安定と人類の幸福に寄与することではないだろうか。

 (戦略国際問題研究所〈CSIS〉研究員)