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連載コラム
「米国メディア時評」

米国メディア時評

【21】



ダライラマに米マスコミが“盲目的”になる理由

(1999年10月16日付)



 ダライラマ十四世がさる八月の東部講演旅行に次いで十月にはカリフォルニアを訪れた。全米マスコミは彼の言動を競って報道している。

 十月十日にハリウッド・ボウルで催された「世界聖歌コンサート大会」に姿をみせ、キリスト張りに「なんじの敵に愛を」と説教して万雷の拍手を浴びた。

 翌日の『ロサンゼルス・タイムズ』は「ダライラマの謙虚さ、聴衆を魅する」と書いた。地元テレビは彼のオレンジ色の僧衣がよほど気に入ったと見えて、何度も何度もそればかり放映していた。

 ダライラマといえば、昨年は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」「クンドゥン」など彼を主人公にした映画が作られ、大変な人気を呼んだ。最近でも著書がかなりの売れ行きだ。

 常々思うことなのだが、ハリウッドはどうやって映画のテーマを選ぶのだろうか。

 「米世論はマスコミではなく、ハリウッド映画が作る」とはカリフォルニア大学のショーンバーグ教授の弁だが、当たらずとも遠からず。

 映画製作者から見ると、ダライラマのラマ教には一種のエキゾチシズムと中国による弾圧という映画にはもってこいの要素がある。それに米国民は人権抑圧には極めて敏感なのだ。

 が、中国のチベット政策の経緯を少しひもとくと、中国のチベット主権を認めた一九五一年の十七項目の合意を黙認し、五九年の内乱にも一度はCIAが支援しながらも最後に見捨てたのは米政府自身だ。少なくとも国際法上は中国に落ち度はないように見える。

 とすれば、ハリウッドはともかくとして米マスコミはもっと冷静にこうした経緯を踏まえた報道が出来ないものか。

 ある著名な米コラムニストは単純明快に言ってのけた。

 「米国の人権政策はつねに国益絡み。クウェートに派兵してチベットに派兵しなかったのは石油がなかったからだ。その後ろめたさの政治心理がマスコミを親ダライラマに走らせているのだろう」

(高濱賛・在米ジャーナリスト)