(2003年8月5日付)
核兵器廃絶へ民衆主体の流れを |
あすは、史上初の原爆投下の悲劇から58年目の「被爆の日」。本年のイラク戦争や北朝鮮をとりまく国際緊張にみられるように、「大量破壊兵器」の開発と拡散を巡るせめぎ合いは、今なお人類の宿痾として平和への潮流を阻み続けている。「核軍縮」の実現に向けて、民衆の力を結集することの重要性を、スイス・ジュネーブにある国連軍縮研究所のパトリシア・ルイス所長に聞いた。(聞き手=長岡良幸)
――インド、パキスタン、イスラエルなどが批准せず、北朝鮮も脱退を表明した「核拡散防止条約(NPT)」を巡る国際政治の駆け引きなどをみると、核軍縮と言っても“自分たちの手の届かない次元の話”というのが庶民の実感です。本来は民衆が主役になるべき課題ではないでしょうか。
まさに、その通りです。「核兵器の廃絶は、民衆の手によってしか、成し遂げられない。専門家には決してできない」というのが、私の偽らざる信念です。
私のような専門知識をもつ者が何人いても、民衆とつながっていなければ、核廃絶は前進しません。なぜなら、民主主義の社会では、政治家は何より民衆の声に反応するからです。
したがって、「国益よりも、平和の課題を優先せよ!」という民衆の意思を強く、大きくしていくことが軍縮への直道です。私たちのような研究所や専門家の役割は、民衆に情報を提供し、また政策決定の指導者が民衆の声に耳を傾けるようサポートすることであると考えています。
その意味で、SGI(創価学会インタナショナル)が推進している「ライナス・ポーリングと20世紀」展のような、平和と軍縮に関して各国の市民を啓発し、平和意識の高揚に効果のある教育活動の意義を、私は非常に高く評価しています。
国連欧州本部での開催(本年5月)も、折よくNPTの運用準備会合の期間中であり、実に大きなインパクトを生みました。
――平和を希求する民衆の力を高めるためには、正確な情報が不可欠ではないでしょうか。その点、核の脅威に関する情報操作や過剰報道も問題となっています。
平和主義者は、夢想家ではなれません。大量破壊兵器の脅威に対して、あらゆる方法を駆使して正確な実態を掌握し、現実的で懸命な判断を行い、行動できることが必要です。
そして、脅威の可能性に対して、常に武力行使を選択することが最善とは限らないと私は考えます。
旧イラク政権がアメリカに対して切迫した脅威であったとしても、本当に戦争が必要であったのか。また、北朝鮮の問題に対して、周辺国やアメリカが軍備の増強や武力行使で解決を図るべきなのかどうか――。
もちろん、武力行使によって脅威を取り除くことも、場合によっては選択肢のひとつであり、専門家として、そうした選択肢を否定するわけではありません。
状況が厳しくとも、頑固に平和的解決の道を志向する、ガンジーのような指導者が、世界にはあまりにも少なくなってしまったのではないでしょうか。
――世界の人々が核廃絶を真剣に決意するグローバルな「新しい意識」の形成が必要ですね。
人類は、長年の宿痾であった「奴隷制」を放棄することができました。今でも奴隷を所有している人間はいますし、所有したいと欲している人間もいるでしょう。しかし、人間が人間を奴隷とすることは許されないという共通意識が定着していますし、国際法でも違法とされています。
核兵器の場合、道のりはさらに困難でしょう。どの国も核兵器を保有していない状況において、1カ国でも保有すれば、それは悲惨な結果をもたらす可能性が強いからです。互いの猜疑心が核の放棄を頑固に阻んでいるのです。
「核兵器の保有も使用も、絶対に許されない」という、人間の心に深く根ざした強固な世界的コンセンサス(合意)を築かなくてはなりません。そのために考えられてきた方法もたくさんありますが、何より大切なことは「民衆が声を上げる」ことです。民衆こそが変革の力をもっているからです。
「建設は死闘。破壊は一瞬」という言葉がある通り、冷戦の終結によって核の脅威は消えたという幻想を捨てて、粘り強い努力を続けなくてはなりません。
私の理想は、世界の人々が、安心して子どもを育て、笑いの中で暮らしていける、平凡だけれど幸せな生活を享受できることです。そのために核兵器という「破壊の魔性」と間断なく対決しているのです。