(2002年10月8日付)
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新たな「平和意識」の形成を |
――「9・11」から1年、ガンジー博士がアメリカ各地の講演・対話活動で特に訴えてこられたことは何でしょうか。
結論から言えば、私は、現代に生きる私たち人間の考え方や行動が、あまりにも物欲主義、自己中心的に偏り過ぎてきた、その累積が「地球社会」を揺るがす紛争状態の元凶にあると見ています。
「文化」を人間の生き方の総称とすれば、力の論理で他者を支配しようとする「暴力の文化」を、自他ともの尊重を可能にする「非暴力の文化」に転換しなければなりません。
確かに、テロリストに対する断固たる行動は必要です。と同時に、テロの背景にある根深い憎悪がどこから来るのか、その遠因を明らかにすることがさらに大切であると、私は訴えてきました。
あの悲惨なテロ事件は、思いつきで実行されたものではありません。犯行までの長期間にわたる周到な計画・準備があったことに思いをいたすとき、テロを生み出す構造的な悪循環を根本で断たなければならないと、切実な思いで対話を続けてきました。
――「非暴力」には静的なイメージがあり、凶悪なテロリストやテロ国家には通じないという主張もありますが、いまや直接のテロ被害者となったアメリカ社会で、「非暴力思想」に対する共感は広がっていますか。
祖父(ガンジー)が主張した「非暴力(Nonviolence)」とは、単に「暴力の空白(Non―Violence)」という受動的な思想ではありません。祖父は、支配構造に隷従させられてきた人間自身に主体性と責任能力を取り戻す精神闘争として「非暴力」を実践したのであり、その思想は今こそ真価を発揮するものと考えます。
昨年の「9月11日」直後、私のオフィスは電話やメールの洪水に見舞われました。「非暴力による平和実現について聞きたい」という要望でした。
「アフガン侵攻」の大合唱のなかで、しかし一方では武力行使が新たな憎悪を生み出すジレンマから脱却したいという、人々の平和希求の意欲にも、かつてない確かな手ごたえを感じました。
私は各地を回って、アメリカ社会の底流に「新たな平和意識」の形成が、確かに起こっていることを実感します。特に、青年たちが真剣であることが何より大きな「希望」です。
ここ数年、青年による「非暴力の教育・啓発運動」を粘り強く進めてきたSGI(創価学会インタナショナル)のような行動力のある団体の、ますますの貢献に期待しています。
――テロ事件は、直接の被害者ではない多くの人々にも「人間不信」と「無力感」という深刻な被害を与えました。メディアが伝えるその後の推移が、軍事と国際政治という、庶民には手の届かない次元に集中していることも、この「無力感」を増幅しています。しかし、この閉塞状況を克服することが平和の潮流に活力を与えるのではないでしょうか。
その通りです。そして、その要は、池田SGI会長が主張するように、「教育」にあります。
青少年に対する教育で最も大事なことは、「教える側が姿で示す」「ともに働きながら、現場の体験を通して学ぶ」ということです。私たちは教材や知識など「何でも与える」ことが教育だと思い違いをしていないでしょうか。
テロや紛争を生む一因として、近年のグローバリゼーション(地球化)が「貧富の格差」を加速的に増大させてきたことが挙げられます。しかし、それを「物や金を恵む」支援で解決しようとするのは愚策です。「貧しい地域の自立と持続的発展」を実現する支援こそが必要であり、実際、政府間援助よりも民間交流による支援活動のほうが、効果が高いと私は考えます。
私も異なる国の村と村の交流、学校と学校の交流を手助けしてきました。
こうした民間交流は、指摘された「無力感」を克服することにも大いに効果があります。一人の力は偉大です。「目覚めた一人の出現」こそ、社会変革の出発点なのです。
略歴Arun Gandhi
1934年、南アフリカ・ダーバン生まれ。父のマニラール氏はマハトマの次男。23歳まで南アフリカで祖父から父へ受け継がれた人権闘争に携わり、その後、インドで新聞記者を務めるかたわら貧困・差別を克服する社会活動に取り組む。87年に渡米、91年にスナンダ夫人とともにテネシー州メンフィスに「M・K・ガンジー非暴力研究所」を創立。