(2002年4月16日付)
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仏法の人間主義は「平和創造」の思想 「差異」から目をそらさず対話を |
――SGIの行動と理念をどう評価されますか。
私が個人的にSGIを知るようになって3年になります。ニューオーリンズ大学としては、池田会長が訪問された28年前に、わが大学とSGIとの素晴らしい友情が始まりました。
ですから私がSGIと出あえたのも、池田会長の教育交流のご尽力によってすでに軌道が敷かれていたものと感謝しています。
私は、SGIの幅広い活動の基盤が、人間と人間との「対話」を軸として、種が植えられ、育てられ、大きく実っていることに感銘しています。
SGIの皆さんが進めている対話運動には「希望」があり、「勇気」がある。本当の対話とは異なる相手を平等に尊重する行為であり、「人間として最も勇気ある行動」です。SGIの皆さんの姿を見ていると「仏法者とは勇気ある人々である」との思いが深まります。
――以前から仏教思想に興味があったのでしょうか。
はい、少年時代から興味はありました。しかし、かつてはアメリカ南部で仏教徒に出会う機会はまれで、仏教思想に関する私の知識は主に読書から得たものでした。
これまでもアメリカ人の仏教に関する理解は禅宗やチベット仏教についてのものが多く、私はSGIを通して初めて法華経の精髄である日蓮仏法の思想を知りました。
「因果の理法」や「慈悲の生命」など、私にとって新鮮かつ納得できる普遍の知恵です。池田会長の著作を通じて現代にも生きる「法華経の智慧」を学ぶほどに、私は痛感します――「アメリカ人にこそ、法華経の智慧が必要なのだ!」と。
私自身も、何でもっと早く日蓮仏法の思想を学ぶ機会がなかったのかと残念に思っていますが、仏法によれば「生命は永遠」ですから、私にも学ぶ時間はまだまだあると自分を励ましています。
――「9・11」以後の世界の変化をどう考えますか。
世界は確かに変わりました。しかし、私はその変化の推移を憂慮しています。そして、こうした事態に至った根本の原因に思いを巡らすとき、「人類が営々と築き上げてきたこの世界は、どこで道を誤ったのか?」という疑問が、心からぬぐい切れません。
では具体的に、何をどう変えればよいのかというと、その答えはスッキリ見えない。だからこそ、私は「今こそ対話が必要だ」と痛感します。そして「対話とは人間として最も勇気ある行動だ」と訴えたい。
表面上は自分と相手との「共通項」だけを取り上げて関係を繕い、裏では「差異」を憎み合っているという、あいまいな友好がまかり通っているのではないかと憂慮します。むしろ「差異」から目をそらさず、対話によって壁を乗り越えようという「慈愛」と「勇気」こそ、今私たちに必要なのです。
私がSGIを評価するのは、この「慈愛の対話」「勇気の対話」を身につける努力を、現実生活の中で一人一人が実行しているからです。
――ニューオーリンズ大学には世界中から留学生が来ていますが、学生の間にはテロ事件からどういう影響がありましたか。
テロ事件直後にアメリカ各地で憎悪犯罪の事件が頻発した折にも、幸い、大学内での争いや事件はほとんど見られませんでした。イスラム系の学生たちも自国へ戻らず、勉強を続けています。
イスラムについて理解しようという努力が学内で自発的に起こり、講演会や対話集会も活発に催されました。私が担当している文化交流部も、宗教理解、文化理解のための活動を積極的に推進してきました。
宗教間・文明間の対話には困難がつきものですし、時間もかかります。しかし、あせらず、強引に押しつけず、互いを尊敬して啓発し合うがまん強い努力が大事です。
こうした意義深い仕事を通じて、私は重要なことを学んだ気がします。
一つは「時を知る」ことの大切さです。その物事に最も合った「時」をとらえて行うこと、すぐに結果が出なくともあせらず、「時」を待ち、あるいは「時」をつくりながら、長期的な視野で見ていくこと。
もう一つは「変革は一人の人間から始まる」という方程式です。
実はこの「時を知る」大切さ、「一人立つ」変革の方程式は、すべて日蓮仏法から学んだことなのです。仏法の思想は「平和創造」への実に重要な示唆にあふれています。
今回、ニューオーリンズ大学から池田会長にお贈りした顕彰も、こうした仏法の優れた人間主義に基づいて世界平和と文化・教育交流に尽力されている長年の貢献に対する敬意を込めたものなのです。
略歴 Mackie Blanton
ルイジアナ州立ニューオーリンズ大学助教授。言語学博士。同大学の学生部副部長、文化交流部副部長を歴任。アメリカ各地はもとより世界約80カ国から集っている1万7000人の学生たちの大学生活を支え、異文化の理解と交流のための諸活動を推進している。