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【米国の識者に聞く−インタビュー2001】


ライナス・ポーリング特別コレクション=オレゴン州立大学=管理者
クリフォード・ミード助教授

(2001年2月20日付)



生誕100周年記念し故郷ポートランドで展示会

史上ただ1人、ノーベル化学・平和両賞を受賞



 史上ただ一人、単独で二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)を受けた二十世紀最高峰の科学者、ライナス・ポーリング博士の生誕から、今月でちょうど百周年。同博士と親交が厚かった池田SGI会長の提案で実現した「ライナス・ポーリングと二十世紀」展が、博士夫妻の生まれ故郷であるオレゴン州ポートランドで好評開催中である。同展にはSGI会長が寄贈された遺品を含め、博士夫妻が遺した著作・記念品などが展示されている。ここではオレゴン州立大学の特別コレクション責任者のクリフォード・ミード氏にインタビューした。
(長岡良幸特派員)

 池田SGI会長と博士の友情で実現

 −−池田SGI会長とポーリング博士の友情によって実現した「ポーリング展」はすでに五都市を巡りました。諮問(しもん)委員の一人として各地の展示会からどのような反響を感じていますか。

 池田会長はじめSGIの皆さま、そしてポーリング家、オレゴン州立大学の協力によって、素晴らしい価値のある催しとなりました。今後、合衆国内はもとより世界各国へも巡回する計画があり、胸躍ります。これまで、予想以上に大勢の方々が見学に訪れました。

 この展示を通して、ポーリング博士にとって、人間の命がどれほど大切なものであったか、平和の実現が彼にとってどんなに重要な課題であったか、そして知識を得ることがどれだけ深い意味をもっていたかを、学んでいただけたと確信します。

 特に多くの学生・生徒たち、未来世代の人々が来場しましたが、現代において人間として生きるということの意味を学び、どうすれば同じ人間として手を取り合って世界をより良くしていけるのかを考え、学んでくれたと思います。

 その意味で、ポーリング博士は二十世紀を生きた巨人でありますが、その生涯のメッセージはむしろ二十一世紀に生きる人々へ向けられているのです。

 何より心強いのは、この機会を通じて、SGIがポーリング博士と同じ目的、「世界平和」のためにまい進しているのを知ったことです。ポーリング博士の遺志を継ぐわれわれとSGIの皆さまは、志を同じくする平和の同志です。

 世界最大規模、50万点もの膨大な量

 −−この展示会にはオレゴン州立大学の全面的な協力をいただきました。ポーリング博士に関する膨大(ぼうだい)な所蔵品はどのようにして集められたのでしょうか。

 一九八六年四月にポーリング博士が、博士とエバ・ヘレン夫人の資料をすべて、お二人の母校であるオレゴン州立大学に寄贈すると発表されました。その年の十月、私は同大学の特別コレクションを設立するために招かれ、博士の住まいがあったビッグ・サー(カリフォルニア)を訪ねました。二日後には話がまとまり、第一陣として十二万五千点もの資料をトラックで自宅から大学まで運んだのです。

 その後、博士は毎年、数千点ずつ資料を寄贈されるつもりでした。それで毎年、(亡くなった夫人との思い出がある)母校に足を運べることを楽しみにしておられました。

 九四年に博士が亡くなるまでに、資料は十五万点に及んでいました。博士の遺言によって、遺された著作原稿、書簡、草稿メモ、書籍、遺品など三十五万点が寄贈され、合計五十万点という膨大な量となりました。一科学者のコレクションとしては世界最大規模です。

 大学の図書館を増設するとともに、特別コレクションのスタッフが目録の作成に取りかかりました。現在までに全資料の九八%まで完了し、今年中にはすべてが項目別に分類され、世界中の研究者たちが閲覧できるようになります。

 −−博士夫妻は、ともにポートランド生まれ。今回の展示はまさに「里帰り展」といえますね。

 その通りです。生誕百周年を祝うのに、これ以上の内容、場所、タイミングはありません。夫妻はともにポートランドに生まれ、オレゴン州立大学(当時はオレゴン農業大学)に進みました。

 一九二一年、大学三年生であった博士は優秀な成績が認められ、家政学科一年の女子学生に化学を教えることになったのです。

 彼は教え子たちと歳が二つほどしか違いませんので、威厳を示そうとして、最初の授業で「水酸化アンモニウムの性質は何か」という大変に難しい質問を出しました。教室を見回した博士は、「ええと、ミス……」出席簿の中から素早く一番発音しやすい名前を探し、「ミス・ミラー」と当てました。それがエバ・ヘレン夫人でした。

 ところがエバは大変に優秀な答えをしたので、ポーリング博士は彼女に強い印象を持ち、そして恋が芽生えて、その後六十年間をともに生きることになったのです。

 妻との同志的な絆を示す書簡も発見

 −−人間味のある、ほほえましいエピソードです。夫人は博士の人生のパートナーであり、平和の同志でありました。博士自身、夫人の存在なしには、研究者の枠を飛び出して反戦・反核の平和運動に進まなかったであろうと断言しています。何かお二人の絆(きずな)を表すエピソードがありますか。

 私がいつも思い返すのは、ポーリング博士の自宅にあった金庫のことです。

 博士と夫人だけがその開け方を知っていて、他の家族はだれも知らなかったのです。ですから博士が亡くなった後、皆が金庫の中身に興味を募らせました。たくさんの人々が金庫の中身を聞きました。息子の一人、ピーターは、戦時中に行った秘密の研究が入っているのかもしれないと思っていたそうです。

 もう一人の息子のカールが家財を管理していたのですが、家中探しても金庫の暗号が見つかりません。しかたなく、その金庫は開封されないまま、遺言に則って他の資料とともに大学に送られてきました。

 非常に大きな金庫です。金庫の専門家に頼んでも暗号の解読ができず、結局、ドリルでこじ開けることになりました。金庫の扉が開くと中に引き出しがあり、そこには博士が夫人にあてたラブレターがいっぱい入っていたのです。

 まだ、夫妻が二十代の学生の頃から、夫人が八十歳の手前で亡くなるまでの間に博士が彼女にあてて書いた七百五十通の手紙でした。つまり、博士は夫人とともに歩んだ六十年間にわたって、毎月、手紙を送り続けた計算になります。

 夫妻の絆はそれほど強かった。博士にとっても夫人にとっても、最愛の人が志を同じくする同志であることは、何よりの幸福であったと思います。



略歴

Clifford Mead オレゴン州立大学助教授。同大学特別コレクションの管理者としてポーリング博士から寄贈された50万点におよぶ著作原稿、書簡など貴重な所蔵品の分類・研究・開示の作業を指揮する。また本年は、同大学のポーリング博士生誕百周年慶祝委員会の共同議長を務め、1年間にわたる各種行事を運営。同大学、ポーリング家、SGIが共催する「ライナス・ポーリングと二十世紀」展では、諮問委員として企画・準備段階から加わり、これまで5都市の巡回展に参画した。共著に『ライナス・ポーリング−−科学者と平和運動家としての横顔』(2001年)、『ポーリング・シンポジウム』(1996年)、『ポーリング・カタログ』(1991年)など多数。