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(2006年9月26日付)
新聞の出現が「大衆」を誕生させた、と説く人がいる。都市のばらばらな「群集」を、新聞が共通の情報を絆に、共通の感情と連帯感を持つ「大衆」に変えた、というのだ。
筆者は1月の本欄で、ラジオからテレビへの移行を体験した祖父母の第1世代、テレビの草創期に育った父母の第2世代、いまの若者の第3世代に分けた。テレビとの関連で三つの世代の意識の変容を捉えれば、地滑り的な変化の跡が見られるはずである。
テレビは、その巨大な影響力を懸念されながら、影響に対する科学的な調査が、絶対的に不足している。日本ではとくに、そうである。遅ればせだがNHKが、2002年秋から科学的影響調査を始めた。影響の広がりと深さを、どう捉え得るかが問題であろう。
米国は胎児や乳幼児の発達についての研究が活発である。日本ではテレビやビデオを赤ちゃんに、子守代わりや英語学習のために見せる家がある。乳幼児はすべての刺激を、スポンジのように吸い込む。乳幼児へのテレビの影響は、好悪の両面から重視される。
が、テレビの影響を赤ちゃんで実験すると、人権侵害になる。対面調査だと乳幼児は、答える能力がない。テレビの影響の実証的研究は、大切な部分で、空白となっている。
人権侵害といえば、数十年前、大阪大学で世界的な注目を浴びた「孤独猿の実験」を思い出す。注目すべき実験だった。が、学会から動物虐待の批判を浴びて、中止された。
出産直後、猿の子を母猿から離す。飼育係の人間は頭から衣を被り、猿との交情を完全に断つ。育てた孤独猿は、常時、頭を激しく鉄格子にぶつける。手足を噛む。血まみれ。他の猿に会うと、手加減無しに、死ぬまで闘う。一方、野生猿同士は、出会いの一瞬、敗者が尾を下げる。この間、0・数秒。次に強者が敗者の背に乗る。和平の儀式である。
夜回り先生・水谷修氏の本には、腕を傷つける若者が大勢出てくる。動物実験との短絡は危険だが、崩壊家庭・孤独人間が増える中で、自傷行為は不気味な符合である。
テレビを考えるとき、昔、映画製作者の羽仁進さんからじかに伺った話が、耳から離れない。子供のテレビ視聴傾向を調べると、親が悪影響を心配して子に見せたくない番組系を好んで見るA群、ニュース、ドキュメント、解説の教養系を見るB群、中間のC群に分かれる、という。私の教師体験からすると、圧倒的な多数派は、A群である。従ってテレビが社会的に強く影響を広げるのは、A群が見る、「面白過ぎる番組」系だといえる。
政府は電波の公共性の建前から、地上波局の番組に対しては、報道、教養、娯楽のバランスをとって健全性を保つよう要請している。が、放送側は、報道や教養の枠に、こんな番組を、と驚く場違いな内容を紛れ込ませる。加えて、放送側が番組内容にバランスをとったつもりでも、羽仁説の如く、視聴者は決して、バランスを考えて見てはいない。
テレビやゲームを、しつけの対象としない家庭が多い。孤独猿や夜回り先生は、高等動物は成長過程で、社会的なしつけや愛情が、絶対に欠かせないことを示している。
デパ地下の試食品販売は、10秒が勝負だという。客が食べ、歩き出す。10歩ほどで客の足を止め、Uターンさせ得るか否か。決め手は、より刺激的で濃厚な味付けである。
番組切り替えがリモコンになった。視聴率競争は今、多分10秒の猶予も許さない。
テレビ局は、春・秋の番組改編の度に、媚び・俗受け番組を増やす。バラエティーとワイドショーが、連日、朝夕となった。番組制作者は、際限のない視聴率競争の行く手に、何を見ているのであろうか。
(ジャーナリスト・元鹿児島大学教授=情報社会論)
略歴
やました・くにつぐ 佐賀県生まれ。九州大学卒業。西日本新聞社で論説委員、編集委員。鹿児島大学、福岡国際大学で情報社会論、ジャーナリズム論、地域計画論、産業社会学を担当。著書に『日本型ジャーナリズム――構造分析と体質改善への模索』ほか。