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(2006年8月22日付)
戦後、お盆のしきたりと、同族の祖先崇拝の心を空洞化させた最大の引き金は、テレビの高校野球であったと思う。読経は、応援のラッパで台無しである。子供が「やったあ」とテレビに叫ぶ。大人も「行けッ」と振り向く。お盆は、地元チームが次々と敗退する時期と重なる。「祖先崇拝意識の後退と高校野球中継」という論文が出てもおかしくない。
わが家では50年前、テレビを買わないことに決めた。が、夕食時、人気番組になると、子供が知人宅から腰を上げないようになった。これにはまいった。
しぶしぶテレビを買い、妻が三つの決まりを提案した。家庭で決めた番組以外は見ない。ご飯ですよ、の呼び掛けですぐにテレビを消す。来客時には絶対にテレビを見ない。
親が子供世代に残せる最大の財産は、タバコを吸わぬことだと言った人がいる。親がタバコを吸えば、赤ちゃんは胎内時代から、母の血液を通して被害者となる。喫煙環境で育つ子供は、タバコの常習者となる比率が格段に高い。喫煙がその家の伝統となる。
同じことが、テレビで言える。メディアが、長年、人間形成に与える影響は、好悪の両面で、想像以上に大きい。終日、テレビをつけっ放しの家が多い。私は、テレビをつけた家やレストランでの酒食は、砂を噛むようにまずい。最近「テレビを見ない日」作り運動が提唱されている。が、習慣化した子供のテレビ生活を変えるのは、生易しくはない。
テレビは音声情報と映像情報の二つを同時に備える。前世紀最大の発明の一つと言われた。それまでのメディア(新聞やラジオ)に比べると、情報量は、一挙に数万倍に跳ね上がった。刺激の大きさでは、家族の全員を、昼夜を問わず巻き込む撹乱者となった。テレビの出現で、家庭の雰囲気、食卓、生活規律やしつけ、服装、言葉遣いが一変した。
私は1964年、初めて欧州を回った。驚いたのは、フランスを筆頭に、どこの国でも、テレビに対する警戒感が、異常に高かったことである。ホテルにテレビがない。家庭にもなかなか普及しなかった。オランダでは、放映は朝夕、ほんの数時間だけだった。日本ではすでに、深夜以外は終日放映していた。現地のテレビスタッフが、まさかあ、とあきれた。
新し物好きの日本の家庭ではテレビを、床の間か、残業や出稼ぎで不在がちになった父の座に据えた。国際教育到達度評価学会(オランダ)が2003年、46カ国の中学2年生を対象に調べた注目すべき資料がある。日本は、テレビを見る時間が46カ国中、最長(日本2・7、平均1・9)、宿題をする時間は最低、家の手伝い時間は下から2番目に少なかった。
テレビ視聴は、その国の国民性と民度(生活文化のレベル)を表す象徴である。加えて世は、映像メディア爆発の時代である。子供がパソコンや携帯で自在にネット通信を操る。デジタル・テレビは、ドラマのタレントが身に着けた魅惑的な流行品の買い物相談にまで応じる。家庭のメディア・コントロールの規律の大切さは、格段に高まっている。
テレビ文化を国民性や民度との絡みで考えた場合、企業サイドには、市場支配力(テレビは視聴率)を唯一絶対の目標とし、同業他社との勝負にのみ目がくらむ、市民軽視の過当競争がある。市民サイドには、政治意識から消費まで、目先の関心を追い、受け身で安きに流れる精神構造がある。この二つが増幅し合って、昼夜を忘れて「面白過ぎる」番組を狙う過当競争があり、同時に、どんな重要場面でCMをはさまれても文句ひとつ言わないで外国人を驚かせる、従順な視聴者がある。困ったことにテレビは、完全受け身で楽しめる。
半世紀のテレビの評価は、社会や日本人の心の変化の、底までをのぞく必要がある。
(ジャーナリスト)
略歴
やました・くにつぐ 佐賀県生まれ。九州大学卒業。西日本新聞社で論説委員、編集委員。鹿児島大学、福岡国際大学で情報社会論、ジャーナリズム論、地域計画論、産業社会学を担当。著書に『日本型ジャーナリズム――構造分析と体質改善への模索』ほか。