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日本マスコミ検証

メディア・リテラシーへの招待
立命館大学助教授・柳沢伸司

【2】


民主主義と情報化社会の共存はかる鍵
先進各国で公教育に組み込む動き

(2001年3月13日付)


 私たちはメディアとともに暮らすメディア社会に生きています。メディアから多くの情報を受け取ると同時にそれらが私たちのものの見方や考え方に少なからぬ影響を与えるのも事実です。メディアはときに巨大な権力となり、民主主義や人間性を脅かすこともあります。メディアが誰のために使われているかがとても重要なのです。

 ▼世界で最初にカナダが導入した

 イギリスの教育学者レン・マスターマンは、メディアが浸透した現代社会にあって民主主義の発展にはメディア・リテラシーが不可欠であると言っています。言い換えれば、メディア・リテラシーなしに民主主義を支えていくことは難しいということになります。マスターマンは一九八五年に著した『メディアを教える』の中で「メディア・リテラシー十八の基本原則」を示しました。

 そこで指摘されたことのなかにメディア・リテラシーの「中心的課題は多くの人が力をつけ、社会の民主主義的構造を強化すること」(原則一)で、「理想的には、メディア・リテラシーの評価は学ぶ者の形成的、総括的な自己評価である」(原則十)と位置づけています。一人一人が市民としての責任を全うするために自己との内省や他者との対話によって主体性を獲得していくことが第一の目標ということになります。

 カナダでは世界で最初にメディア・リテラシーを公教育に導入しました。公教育への働きかけをしたのは多くの市民や「メディア・リテラシー協会」などの市民組織でした。一九八九年オンタリオ州教育省によって作られたガイドブック(『メディア・リテラシー マスメディアを読み解く』)には、メディア・リテラシーの基本概念が示されています。

 すなわち、「(1)メディアはすべて構成されている、(2)メディアは『現実』を構成する、(3)視聴者・読者がメディアを解釈し、意味をつくりだす、(4)メディアは商業的意味をもつ、(5)メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている、(6)メディアは社会的、政治的意味をもつ、(7)メディアは独自の様式、芸術性、技法、きまり/約束事をもつ、(8)クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる」というものです。

 ▼誰もがメディアと対等な関係に

 これらの概念を使って、意味や歪(ゆが)み、価値観について深く考え、読み解きながら「理解と学ぶ楽しみを促進する目的で行う教育的な取り組み」をメディア・リテラシーと位置づけています。そして「メディア・リテラシーの目標には、市民が自らメディアを創りだす力の獲得も含まれる」と、誰もがメディアと対等な関係を築いていくことも重視されています。

 八〇年代からメディア・リテラシーはイギリス、カナダ、オーストラリアなどで取り組まれてきましたが、これらの活動を日本でも紹介し、早くからメディア・リテラシーへの先駆的取り組みをしてきたのがFCT(「子どものテレビの会」=現在は「市民のメディア・フォーラム」)です。FCTは七七年十月、鈴木みどりさん(現・立命館大学教授)ら市民によって創設された広場(フォーラム)です。

 FCTが目指したのはよりよいテレビの実現ですが、そこに集うテレビの送り手、受け手、研究者の三者が立場を超えた平等な関係を築くこと、つまり対話をつうじて人間として互いに尊重し合うプロセスが重視され、同時におとなだけでなく子どもともその関係を分かち合うことでした。

 「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションをつくりだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」(『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』)という定義は、単なるメディアの分析にあるのではなく、メディア社会を生きる私たち自身が自らの歴史をつくる主体として社会と関わり、創造的なコミュニケーションを行っていくための取り組みといえるのです。

 (立命館大学産業社会学部助教授)