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(2001年1月16日付)
一九五三年、日本でテレビ放送が開始されて以来、七七年にはテレビ番組は完全カラー化を遂げ、八四年には衛星放送が、九六年にはデジタル放送が開始されるなどテレビの世界は著しい変化を遂げました。テレビ受像機は多チャンネル大画面化が進み、一家に複数台所有されるなど、いまでは私たちの生活に欠かせないメディアとなりました。今後さらに双方向でデータのやり取りなどができるメディアになるようです。
私たち視聴者一日当たりの個人視聴時間(週平均)は三時間三十五分(NHK放送文化研究所)、世帯視聴時間は八時間九分です(ビデオリサーチ社・関東地区・一九九八年)。一日のうち三分の一の時間は家庭でテレビがついているということになります。テレビは意識することなく私たちの暮らしに溶け込んだメディアの一つとなりました。
ところで、近年の青少年非行が深刻化してきた背景のひとつにテレビの暴力シーンや性表現などメディアの悪影響を訴える声が聞かれます。もちろんテレビを見たから暴力に走ったなどというような短絡(たんらく)的なものではありません。家庭でのテレビ視聴のかたちや躾(しつ)けなど生活環境も関係しているとみるべきなのですが、テレビというメディアそのものが人間の行動に与える影響について研究者は次のように指摘しています。
思想史の教授バリー・サンダースは「テレビを見るのは、最悪の悪循環をもたらす。テレビは、人が自分自身でイメージを作り出す能力を低下させ、作られたイメージにいっそう影響されやすくする。この状態は、免疫システムの低下に似ている。また、テレビを見ることは、意志も弱めてしまう」と指摘し、テレビをはじめとする電子メディアによって人間性が崩壊していく危険性を訴えています(『本が死ぬところ暴力が生まれる』)。
児童心理学者のデイヴィッド・ウォルシュは「子どもたちの生活は、商品を買わせようとする企業の、やりたい放だいの『メッセージのシャワー』を浴びせられている。その巧みな広告術は、テレビをはじめメディアをつかって広められる」と指摘しています(『テレビ汚染とアメリカの子どもたち』)。
テレビコマーシャルなど目まぐるしく変化する過剰な視覚的刺激など、日常化したテレビ視聴が人間の知覚を変化させ感覚を鈍らせるというのです。また、消費文化や快楽主義あるいは快適主義とでもいえる価値観もメディアが増幅してきたことは否定できません。人間の尊厳と価値を傷つけるようなメッセージもテレビには溢(あふ)れています。
テレビとともに暮らしてきた私たちは過剰な刺激にさらされて育つ人類最初のテレビ世代ですが、実はその長期的影響については何もわかっていないのです。
子どもたちはまた、主にテレビ映像を通じて、よかれあしかれ幼い頃から大人社会を支配している思想や価値観を間接的に見て知ってしまいます。テレビでは毎日大人たちの姿を映していますが、はたして子どもたちにとって大人たちは良きモデルになっているといえるでしょうか。
子どもはテレビや電子メディアと接触する時間が長くなればなるほど、人の中で「育まれる」という環境から、人工的なものに囲まれて成長するようになります。内容のよしあしを判断できる枠組みなしに、子どもが自由にメディアや情報に触れられる環境となっているのが現代のメディア社会なのです。
放送のデジタル化、インターネットの普及による情報の多様化、共働き世帯の増加やビデオゲーム、携帯電話の所有など、青少年を囲むメディア環境は著しく変化しました。しかし私たちはもはやメディアから隔離された生活など考えられません。
メディアから送られてくるメッセージを受動的に受け入れるのではなく、メディアときちんと向き合い、メディアのことを知り、いかにメディアを賢く利用していくかが求められているのです。
メディア・リテラシーとは「メディアを選択し、主体的に読み解き、自己発信する能力」であり、この取り組みが必要な時代を迎えているのです。
(立命館大学産業社会学部助教授)