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(2000年5月23日付)
戦後の宗教報道は当初からセンセーショナリズムに覆われていた。「神々のラッシ ュアワー」と呼ばれた状況があり、それが既成秩序崩壊のショックに対する奇矯(き きょう)な表現と見なされていたためである。
しかし、じっさいにはまったく新しい宗教運動というのは少なく、その多くが戦 前・戦中の運動の衣替えや新規まき直しだったという(井上順孝『新宗教の解 読』)。「ラッシュアワー」だったのは、むしろそれを報道する側だったのである。
他方で「カレンダーもの」と呼ばれる季節記事として、伝統文化視された既成宗教 が利用された。記者クラブで広報を発表する行政側が休む祝祭日や休日などは、とた んに記事が不足する。それを補う役割を果たした。また、紙面やニュースの無難なア クセントとして活用された。
いずれにせよ、報道に当てられる紙面や放送時間の量的拡大は宗教報道を増加さ せ、やがて次々に生まれたスポーツ紙と週刊誌とワイドショーがさらに報道量の飛躍 的増大を実現する。後三者は構造的に正統派ジャーナリズムとちがうコンテンツ(中 身)を要求される立場にあったため、「新聞が書かない」スキャンダルを興味本位に 描くことになり、報道局とはちがう切り口で局所拡大的に事件をあつかった。やがて 三者の玉突き的相互引用によるスキャンダル造成システムができあがる。
そうした中で、淫祠邪教(いんしじゃきょう)視された教団は枚挙にいとまない。 その多くは新宗教であり、報道された時点では保守政党の支持団体ではなかった。む しろ、そうした報道キャンペーンによって各教団は政治的独自路線を放棄させられ、 保守的な政治構造に埋め込まれてきたのが実状である(たとえば一九五六年、『読売 新聞』の立正佼成会批判)。
このように、宗教報道を政治構造と切り離して考えるべきではない。客観中立を標 榜(ひょうぼう)してはいても本質的に報道は政治そのものである。そして皮肉なこ とに左翼系革新政党や労働組合は新宗教批判に便乗して逃げ道をふさぐことで、それ を強力に推進する機能を果たしてきたのである。
このような構造の病理が典型的な形で噴出したのが、一九七七年あたりから始まり 一九八〇年にピークを迎える「イエスの方舟(はこぶね)」報道だった。
ピークまでの一年間『サンケイ新聞』は特別報道班を編成して淫fcfd邪教批判 キャンペーンを続け、多くのメディアがそのあとに続いたが、行方不明だったグルー プが発見されてみれば実態はまったく異なる集団だった。こうして、声高に語られた 淫祠邪教の物語が大新聞社そのものによって創作的に構築されたものだったことが明 らかになったのである。日本の宗教報道の本質が現れた瞬間といえるだろう。
人類学者の山口昌男氏は、この一連の報道を分析して「演劇論的非難」という概念 を適用したことがある(『文化の詩学I』)。これは「あらかじめでき上がっている 叙述のなかに、事実が配列される過程」のことをいう。
つまり、取材によって集められた事実からそのつどストーリーが組み立てられるの ではなく、先入観や偏見や憶測によって作られた古くさい物語の構図のなかに個々の 事実がはめ込まれていくのである。
私たちが逮捕前のオウム関係者からたびたび聞かされた身勝手な陰謀史観の論理と 同じことを、すでに正統派ジャーナリズムが組織的にやってきたということである。
しかし、こうした分析はその後ほとんど現場に生かされることなく、宗教報道はま すます過剰になり、そしてオウム報道で頂点に達した。それ以降、宗教報道は何でも ありの状況になっている。
ここで社会心理学の「脱制止効果」という概念を確認しておこう。「モデルの地位 がどうであれ、モデルが恐ろしい活動や社会的に容認されていない行為をしても不利 益な結果をいっこうに受けないという事態を目撃した後では、その観察者は以前には 抑制していた行動を起こしやすくなる」(徳岡秀雄『社会病理を考える』)
――じっさい多くのメディアが他の先行メディアをモデルにして過剰な物語生産に 走っている。しかし、モデルが宗教報道、観察者がその受け手だとすると、あからさ まな新宗教差別が大衆レベルで生じるのは時間の問題ではないかと思う。そのときジ ャーナリズムの「良識」は何を報道するのだろう。
(法政大学 大原社会問題研究所兼任研究員)