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連載コラム
「ロシア メディア事情」
ロシア東欧経済研究所次長・岡田邦生

【12=完】


サミット議長国として存在感

国内の評価は相半ば

(2006年8月8日付)

 7月15日から3日間、ロシアのサンクトペテルブルクにおいて、主要国首脳会議(サミット)が開催された。

 サミットはジスカールデスタン仏大統領の提唱で1975年にフランスのランブイエで開催されたのが始まりである。そこでは、主要国の首脳が一堂に会して、当時、国際経済の懸案事項であった石油危機への対応と通貨安定に関する問題を協議した。先進国による「金持ちクラブ」と揶揄されることもあったが、初会合以降、毎年、会議は継続された。

 80年の会合ではソ連軍のアフガニスタン侵攻が議題とされ、それ以降、サミットでは、経済問題だけではなく、政治問題も議論されることとなった。したがって、ソ連時代、ロシアにとって米英仏独伊加日の先進7カ国(G7)が集うサミットは忌み嫌う存在であった。

 ロシアがサミットに初参加したのは91年のことである。やや皮肉なことであるが、ゴルバチョフ・ソ連大統領がサミット公式日程終了直後に招かれ、そこでソ連への金融支援が討議された。その後、ソ連が崩壊し、新生ロシアの時代となったが、ロシアはサミットに招かれるものの、経済討議には加わらないなど、ロシアにとっては不完全な参加が続いた。

 プーチン大統領は、在任中に出身地のサンクトペテルブルクでサミットを開催できることを千載一遇のチャンスと考え、世界が注視するその場で、強国ロシアの再生を印象付け、2000年の大統領就任以来の自らの政治活動を集大成することを意図した。

 筆者もサミットが開催される前の週からロシアに滞在していたが、サミット開催の件は、連日メディアで大きく取り上げられていた。特にテレビでは、サンクトペテルブルクでの準備状況を含め、プーチン大統領と各国首脳との会合の様子が大々的に報道されていた。議長として主要国首脳との議論をまとめていくプーチン大統領の姿は、ソ連崩壊後、長くロシア人が失っていた自信を回復するには十分なほどであった。

 ロシアはサミットの最重要議題としてエネルギー安全保障の問題を上げていたが、イスラエル軍のレバノン侵攻によって緊迫する中東情勢を受けて、議論の焦点を一部変更することを余儀なくされた。プーチン大統領は、閉幕後の記者会見で「すべての問題で参加国の立場を一致させることができた」とし、極めて成功裏にサミットを運営できたことを自讃した。

 しかし、『ヴェドモスチ』紙が「控えめな成果」との見出しのもと、「G8サミットが行き過ぎた行為や大きなスキャンダル無しに終了したことこそが、ロシアにとって最大の成果である」と述べるなど、ロシアの主要紙のサミットの成果に関する報道振りは、どちらかというと控えめなものであった。

 さらに、『独立新聞』は「レバノン、イラン、WTO」との見出しのもと、「G8サミットはホストのシナリオ通りに進まず」とし、浮かない表情でテーブルを挟んで立つプーチン、ブッシュ両大統領の写真を一面に掲載した。

 また『コメルサント』紙も「米国とロシアの大統領はひとつの問題にも合意せず」との見出しを掲げ、世界貿易機関(WTO)加盟交渉で米国と合意できなかったことを大きく伝えた。WTOへの年内加盟の可能性が絶たれたことは、各紙が大きく報道した通り、ロシアにとって今回のサミットで最も落胆すべき出来事であった。

 一方、『ヴェドモスチ』紙はプーチン大統領と中国の胡錦濤国家主席、インドのシン首相の3人が並んで立つ写真を掲載し、ロシア、中国、インドによる初の3カ国首脳会議の重要性を報じた。同様に『コメルサント』紙も「クレムリンはロシア、中国、インドの3カ国が立場を同じくして今後G7との交渉にあたることを真剣に考えている」として、プーチン大統領が巧みにG7諸国を牽制したことを伝えた。

 また、サミットの前、海外のメディアでは盛んに、ロシアは「G8の資格を持つのか」、また「議長国としてふさわしいのか」との議論がなされ、ロシアの異質性が不必要に強調された感があったが、サミットを終えて、こうした声はやんだ。

 ロシアがサミットの議長国を務めること、ロシアを含むG8諸国が中東や北朝鮮の問題で結束を示すことができたこと、中国やインドの存在がサミットの討議に影響を与えることなど、これらすべてが国際社会、そしてサミットの変容を明確に示している。

 米ロ首脳会談を終えた後、「その国の歴史や伝統によって民主主義の形は異なる」と述べたのは、他ならぬブッシュ大統領であったが、自らと違う価値観を持つ「異質」者ということだけで、ロシアを評することはできない。

 (ロシア東欧貿易会ロシア東欧経済研究所次長)

略歴

 おかだ・くにお 1986年、創価大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程修了。在学中に南フロリダ大学、モスクワ大学留学。86年、(社)ソ連東欧貿易会調査部研究員、91〜96年、同主任・調査役、96〜2001年、同モスクワ事務所長、01年より現職。著書に『ロシア・CIS経済ハンドブック』(全日出版)など。