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連載コラム
「ロシア メディア事情」
ロシア東欧経済研究所次長・岡田邦生

【11】


橋本元首相への追悼報道が語る日ロ関係

「友人リュウ死す」と異例の扱い

(2006年7月11日付)

 今月1日、日本のNHKにあたるロシアのテレビ第1放送は、橋本龍太郎元首相死去のニュースを速報したが、その中で「橋本元首相はエリツィン初代ロシア大統領と特別な信頼関係を築き、お互いをファーストネームで呼び合った。そして、有名な『ノーネクタイ会談』で様々な重要問題を協議した」と伝え、静岡県の川奈で仲良く肩を組むノーネクタイの二人の映像を配信した。

 また、インターファクス通信は「日ロ関係発展に向けた共同の仕事と個人的な友情が橋本氏とエリツィン前大統領を結び付けた」と紹介した。

 一方、週末が休刊日である日刊紙は、週明けの3日の紙面で報道した。『ブレーミヤ・ノヴォスチェイ』紙は比較的長文の記事を掲載し、「橋本氏はロシア人に『友人リュウ』と記憶されている」と述べ、1997年のクラスノヤルスクでの会合がエニセイ川での舟釣りから始まったこと、2000年までの平和条約締結を約束したことなどを紹介した。

 そして「橋本氏はロシアに領土問題の解決を『勝者も敗者もない』という原則で行うことを提案し、モスクワの『顔を立てる』ことが大切であると考えていた」とし、その繊細さと柔軟さを評価した。

 ロシアのメディアにおいて、日本の政治家のことが取り上げられることはそれほど多くはないが、橋本元首相の死に関しては、ロシアの各種メディアが一斉に報道した。

 そして一様に、橋本元首相が、エリツィン前大統領との親交を基盤に、日ロ対話を急速に進展させ、ロシアの経済改革を支援し、両国関係の改善に貢献したことを評価した。

 実際、橋本、エリツィン両首脳の時代は、近年の日ロ関係において、画期的な時代として特筆される。前述のとおり、1997年11月、クラスノヤルスクにおいて、両首脳は「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意した。

 そして、翌98年4月には、川奈で再度、首脳会談を開催し、日本側が「日ロ間の国境線を北方四島の北側に引き、ロシアが北方4島の日本帰属を認めれば、施政権の返還は当面求めない」とする「川奈提案」を提示したとされる。

 偶然ではあるが、上記とほぼ同時期の6月30日、ロシアのメディアは小泉首相の訪米の様子を伝えていた。

 ノーボスチ通信は「東京とワシントンは新たな協力の優先性を宣言」との見出しのもと、小泉首相とブッシュ大統領の蜜月関係を報道するなかで、日米両国が通商問題、北朝鮮問題、安全保障問題などを含む、様々な難しい問題を協議したとし、「サムライ」と「カウボーイ」は、9月の小泉首相の退任の後も、東京とワシントンの相互関係が揺るぎないことを強調したと伝えた。

 一方、テレビの放送では、それほど大きな扱いではなかったものの、両首脳がエルビス・プレスリーの生家を訪問し、小泉首相がプレスリーの物まねをし、ブッシュ大統領がそれをほほえましく見守る様子が映し出された。全般的に、小泉首相とブッシュ大統領が個人的に仲良く、楽しそうにしている映像によって、日米両国の緊密な同盟関係を淡々と伝えるような報道振りであった。

 奇しくも、同じ時期にロシアのメディアによって、日ロの首脳であった橋本元首相とエリツィン前大統領、そして、日米の首脳である小泉首相とブッシュ大統領の信頼関係、友好関係の深さ、そしてそれらに基づく両国関係の親密さが報道された。

 ロシアが第三者にとどまる日米関係に関する報道は、事実を淡々と伝える様子であったのに対し、ロシアが一方の当事者である日ロ関係については、当然ながら、明らかに様子が違っていた。

 日本との関係はロシアにとっても重要なものであり、橋本・エリツィン時代に日ロ両国の首脳が特別に親しい関係にあったことを好意的に伝えながらも、領土問題については、両国の立場は、もともと「同床異夢」であったとする論調であった。橋本元首相の死去を悼むロシア・メディアの報道は、皮肉なことに、改めて領土問題解決の難しさを浮き彫りにした。

 (ロシア東欧貿易会ロシア東欧経済研究所次長)

略歴

 おかだ・くにお 1986年、創価大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程修了。在学中に南フロリダ大学、モスクワ大学留学。86年、(社)ソ連東欧貿易会調査部研究員、91〜96年、同主任・調査役、96〜2001年、同モスクワ事務所長、01年より現職。著書に『ロシア・CIS経済ハンドブック』(全日出版)など。