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連載コラム
「ロシア メディア事情」
ロシア東欧経済研究所次長・岡田邦生

【8】


生まれ変わった新聞

欧米に引けをとらない経済紙も台頭

(2006年4月11日付)

 ソ連時代、最も重要な新聞とされたのは、党機関紙『プラウダ(真実)』と、政府機関紙『イズベスチヤ(報道)』であり、最盛期にはそれぞれ1000万部以上の発行部数を誇った。言論統制があった当時、商業紙と呼ばれるものがなかったため、これら二大紙を揶揄する傑作な小話があった。

 それは「ソ連の二大新聞はプラウダとイズベスチヤであるが、その相違点は何か。答えていわく、プラウダには報道がなく、イズベスチヤには真実がない」というものである。確かに、筆者も学生時代、これらの新聞を読むことを試みたが、無味乾燥な内容にすぐに挫折してしまうことばかりであった。

 また、お世辞にも編集デザインが優れているとは言えず、写真もわずかで、広告などはなく、大抵はベタ組みの記事が多く、ページ数は少ないものの「文字だらけ」の新聞とのイメージであった。

 1985年、ゴルバチョフがソ連共産党書記長になり、社会の活性化のためにペレストロイカ(改革)を進めるが、そのなかでグラスノスチ(情報公開)は必要不可欠な要因であった。これらの政策によってロシアの新聞は大きく変化し、自らが社会の様々な問題を掘り起こし、そうした問題に対する独自の見解を明らかにすることが求められた。

 こうして新聞は、党や政府の考え方を伝えるだけの「道具」から、独自の主張を伝える「メディア」に変化し、ロシアの新聞は格段に面白くなった。実際、同時期、新たな新聞が数多く創刊されたり、以前からあった新聞が紙面を大胆に刷新し、全く違う新聞に生まれ変わったりした。

 当時、新たに創刊されたタブロイド判の週刊新聞『論拠と事実』は、鋭く事実を追究する姿勢が注目されて爆発的な人気を呼び、今日においても人気紙の一つである。

 一方、最も成功裏に生まれ変わった新聞の一つは『コムソモーリスカヤ・プラウダ』であろう。同紙は1925年にコムソモール(共産主義青年同盟)の機関紙として創刊されるが、商業紙として紙面を一新し、タブロイド判の1面は大型の写真に派手な見出しが躍るカラー刷りで、センセーショナルな記事や芸能ネタなど娯楽性の高い記事を多く載せ、大衆紙路線を一気に進めるとともに、旧ソ連諸国を含む62カ所で印刷を行うなど、新聞としての速報性と地域性を併せ持つ紙面作りを行い、人気を博している。

 筆者が愛読する新聞の一つは『ヴェードモスチ(広報)』である。同紙は1999年9月に創刊された新しい新聞であるが、『ウォールストリート・ジャーナル』と『フィナンシャル・タイムズ』という米国と英国が世界に誇る経済紙との連携の下に発行される日刊経済紙である。

 発行部数は約7万部と少ないが、ビジネスエリートを明確なターゲットとしている。紙面の編集デザインは洗練されて読みやすく、かつてのソ連の新聞のイメージは全くない。

 同紙には、日本や欧米の新聞では読めないロシアの内情が書かれていることはもちろん、国際的な事件に関しても、欧米と違うロシアの考えが明確に描かれ興味深い。加えて、広告が面白い。主な広告主は、銀行、保険、不動産、自動車、携帯電話、航空、旅行などであるが、高級な服や靴の広告もある。

 また「求人と教育」のページでは欧米の一流企業の求人広告、同じく欧米の一流大学のMBA(経営学修士)取得コースの広告が所狭しと並んでいる。いまだに多くの日本人が持つ、一昔前の「貧しいロシア」のイメージは、この新聞の広告欄を見るだけで一掃されよう。

 同紙の3月22日号の金融のページの中央に「ロシア人が行く」とのタイトルの大きな記事があった。それによると、昨年、ロンドン証券取引所で取り扱われた外国企業株式の総取扱高の60%以上がロシア企業のものであるという。

 今のロシアがバラ色一色というつもりはないが、これも真実の一面である。本当のロシアを知るために、今、ロシアの新聞から目が離せない。

 (ロシア東欧貿易会ロシア東欧経済研究所次長)

略歴

 おかだ・くにお 1986年、創価大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程修了。在学中に南フロリダ大学、モスクワ大学留学。86年、(社)ソ連東欧貿易会調査部研究員、91〜96年、同主任・調査役、96〜2001年、同モスクワ事務所長、01年より現職。著書に『ロシア・CIS経済ハンドブック』(全日出版)など。