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(2006年1月17日付)
ラジオはイタリアのマルコーニによって発明されたとされるが、実は、世界初のラジオはロシアのポポフによって世に紹介された。
当時、海軍兵学校の物理学教授であったポポフは1895年5月に世界初のラジオの公開実験に成功した。マルコーニの公開実験の成功は同年9月である。
しかし、マルコーニは、翌年、無線電信技術に関する最初の特許をとったことにより「ラジオの発明者」として正式に認知されることになった。如才無いイタリア人と朴訥なロシア人のイメージが重なる興味深い話である。
ロシアで最初のラジオ放送は1919年から試験的に行われたが、革命を成就させたばかりのボルシェビキ政権にとって、国民への宣伝・啓蒙手段としてのラジオ網の整備は重要課題であり、優先的な国家事業として進められた。ソ連時代には、すべてのラジオ局は国営であり、共産党の統制下、プロパガンダ色の強い放送であった。
また、89年までは、西側諸国からソ連に向けた放送に対しては、適宜、妨害電波が流されていた。しかし、ソ連崩壊後、90年代には国営放送の再編が進むと共に数多くの民放ラジオ局が新設され、音楽放送を中心とする放送に若者の人気が集まるなど、ラジオ放送は様変わりした。
日本人にもやや馴染みのあるロシアのラジオ局といえば、マヤーク(灯台)放送であろう。同局は同名の国営放送として健在であり、ソロビヨフ・セドイ作曲の「モスクワ郊外の夕べ」のイントロもそのままで、音楽とニュースを中心に24時間放送をしている。
一方、新設のラジオ局の中では、エコー・モスクワが、ニュース、評論、インタビュー、視聴者参加型討論会、ルポルタージュなどの番組を中心とする放送で人気を博している。
同局は「プロパガンダと洗脳を一切排した、自由なジャーナリストによる全く新しい報道ラジオ局」との理念の下に、モスクワ大学ジャーナリスト学部長、改革誌『アガニョーク(灯)』編集長等が参加して90年に設立され、現在では、モスクワ以外にも、ロシア国内および他の旧ソ連圏40都市、さらに米国のシカゴとニューヨークでも視聴することができ、潜在リスナー2500万人を擁しているという。昨年末には全国放送協会によって「情報性、的確性、客観性」が評価され、2005年の最優秀ラジオ局にも選ばれた。
同局の放送のなかでも、アレクセイ・ベネディクトフ編集長によるトーク番組は出色の出来で、米CNNテレビの大胆な質問で有名人の目を白黒させる人気トーク番組ラリー・キング・ライブを髣髴とさせる。
昨年4月にロシア訪問中のライス米国務長官を招いての生番組のトークで、本音か勘違いか、ともかくも、長官から2008年の米大統領選への出馬の意思をいったんは「ダー(はい)」と聞き出した様子が、日本のテレビのワイドショーでも取り上げられていたので、ベネディクトフ編集長の天然パーマの長髪と髭ボウボウの顔をご記憶の方もおられると思う。
同編集長は1955年にモスクワに生まれ、モスクワ教育大学歴史学部を夜学で卒業後、教師を20年間務めた。興味深いのは5年間の大学生活を通じて郵便局でアルバイトをしていたことである。ロシアでは新聞や雑誌も郵便として配達されるが、アルバイト生は役得で、配達前の新聞・雑誌をむさぼり読むことが出来たという。
そうして培ったジャーナリズムの感覚が今の縦横無尽なトークに生かされているのであろう。同編集長と同じ団地に住む筆者の知り合いによると、有名になった今も、身なりには全く無頓着で、ロシア製の古い車を自ら運転する、気が置けない隣人であるという。
巷間、プーチン政権下で報道規制が強まっていると伝えられ、エコー・モスクワでも一部報道を巡って、当局から「指導」を受けたことが明らかになっているが、同局は、本年早々に「2005年に最も注目された政治家」を問う聴取者調査の結果を公表し、政権に反旗を翻した2人の政治家が1位、2位を占め、プーチン大統領は、ようやく3位にランクされたと伝えた。
ベネディクトフ編集長の鋭い舌鋒と共に、同局の草創期の理念が末永く健在であることを願うのは、筆者だけではないはずである。
(ロシア東欧貿易会ロシア東欧経済研究所次長)
略歴
おかだ・くにお 1986年、創価大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程修了。在学中に南フロリダ大学、モスクワ大学留学。86年、(社)ソ連東欧貿易会調査部研究員、91〜96年、同主任・調査役、96〜2001年、同モスクワ事務所長、01年より現職。著書に『ロシア・CIS経済ハンドブック』(全日出版)など。