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(2001年6月19日付)
昔、楚の国で、武器商人が盾と矛を売る。この矛は鋭くていかなる盾をも突き通せると言い、この盾は頑丈でどのような矛をも突き通させないと言う。客に、その矛で盾を突いたらどうなるのかと質問され、答えに窮した。矛盾の由来である。
核兵器の開発とミサイル防衛体制の開発は、まさに矛盾の国際政治ゲームである。一方で圧倒的なミサイル攻撃力(矛)を開発しようとし、他方では完璧なミサイル防御体制(盾)を開発しようとする。
際限のない危険な軍拡を抑制するために、完璧な盾を互いに持たぬことで、核戦争になれば共倒れになるという相互確証破壊という守りに弱い状況を意図的につくる。核抑止による平和を維持しようとする恐ろしい知恵を編み出した。
今、米国が開発に躍起になっているNMD(米本土ミサイル防衛)も、日米共同で開発しているTMD(戦域ミサイル防衛)も、抑止による平和に違反することになる。ロシアや中国はもとより、アメリカの欧州の同盟国までもがアメリカのミサイル防衛構想には批判的である。
ところが、田中真紀子外相が「米国のやりすぎ」を批判したとかで政治問題になるほど、わが国の政府関係者の同盟国への従順さと気配りは尋常ではない。そのアメリカには、日米同盟を普通の同盟にしたいとの思惑がある。
昨今話題の米国国務副長官アーミテージが、昨秋まとめた報告書「アメリカと日本:成熟したパートナーシップに向けて前進」を読み直してみた。日本が集団的自衛権の行使を禁止していることが同盟の協力を進める上で制約となっている。この制約を解くことによって、両国の密接かつ効果的な安全保障協力が可能になる、という。
さらに、他国の重荷にならないよう、平和維持軍への参加も求めている。そして日本が自ら進んでさらなる貢献をし、対等な同盟パートナーになることを米国は歓迎しているという点を日本に明確に伝えなければならない、とも述べている。
集団的自衛権の行使とは、同盟国が戦争に巻き込まれれば、一緒になって戦うことを意味する。確かに、アジアには戦争の火種がくすぶっている。それに、米ソのような核抑止を目指す核開発とは一味ちがう、新手の核開発も危惧される。
国際的孤立のなかにあった南アフリカやイスラエルは、周辺国が手出しをしようものなら、「何をしでかすかわからないぞ」との威嚇手段がほしかった。いざというときに備えた、いわば「核の保険」の核開発に走った。この「核の保険」がイラクや北朝鮮の核開発疑惑に引き継がれているだけに、これから先も予断を許さない。
それにアジアや中東のミサイル拡散は深刻だ。米国の「核の傘」に入っていても核抑止の効かない状況が想定されるとなれば、ミサイル防衛体制の開発はやむをえないか。普通の集団的自衛権への脱皮となれば、そのうち憲法改正も避けられまい。そして普通の大国となれば、アジア諸国から対日不信感を突きつけられ、日本を取り巻くアジアの国際関係は一層緊張する。悪循環である。
さりとて、この同盟からいっそ抜け出して日本が自立すれば、「ビンの蓋論」の蓋が外れた状況よろしく、国際関係の緊張を招来することになろう。日本の安全保障政策は袋小路に入ってしまったようだ。軍事同盟のような力の信奉によらない多国間地域安全保障の仕組み作りを避けてきたツケを今、払わされようとしている。
今年は日米安全保障体制50周年の年である。時代状況は大きく変わろうとしている。国際平和と安全への新しい取り組みに知恵を絞りたい。
(神戸大学教授)