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国際論壇時評

【国際論壇時評 2】
吉川 元


アジアに多国間の安全保障体制を

日本外交の知恵と行動力が試される時

(2001年2月20日付)


 冷戦が終わって、いつのまにやら、わが国を取り巻く東アジアは世界でもっとも緊張する地域となった。戦争を放棄し平和主義を国是とする日本が、あいも変わらず軍事同盟による平和の道しか選択できずにいる。世界が大きく変わろうとしていた冷戦後十年は日本の外交にとっても「失われた十年」であった。もっともアメリカには、実り多き十年であったに違いない。

 ▼米国は二国間関係の維持に躍起

 クリントン政権のもとでのジョセフ・ナイ(当時の国防次官補)を中心に行われた日米安全保障再定義の試み「ナイ・イニシアチブ」で明らかになったように、アメリカはアジアへの軍事プレゼンス(展開)に躍起となっている。アメリカの軍事プレゼンスで、中国の台頭を抑止するという。アメリカの軍事的存在が日本の軍事化を封じ込める「ビンのふた」のような役割を演じているという。

 こうしたアジアの見方が日米同盟の合理化に採用されている。ナイ自身が正直に述べているように、アメリカの指導力でアジア諸国との二国間関係を維持するほうが、アジアのためにも、アメリカ国内の雇用や貿易など国益のためにもなるという。アメリカ軍のアジアへの駐留は、中東への軍事行動を可能にする戦略的なうまみもある(ジョセフ・ナイ「深い関与の事例」『フォーリン・アフェアーズ』誌、一九九五年七・八月号)。

 この十年、アメリカは知恵を出し、存続の危機に直面した日米同盟に息吹を与え、当面、多国間主義の道は封じられたようである。だが、それが最善の選択であろうか。

 多国間主義といっても、その形態は様々である。経済統合を進め共通外交まで実現しているEUのような高度に発展した安全保障共同体の例もある。EU域内では、もはや単独での国益追求も武力行使も国際関係の構造上、不可能である。国際関係の構造が変わったのである。ここまでくるには半世紀の歴史があった。

 その出発点には、戦争の予防策として、資源やエネルギーの共同管理をはじめ経済相互依存関係の構築で共存共栄を図ろうとした、独仏の政治家たちの知恵と行動力があった。

 ▼注目に値する欧州安全保障協力機構

 旧ソ連、東欧も含む欧州全域の共通安全保障の実現に取り組んでいる欧州安全保障協力機構(OSCE)のような例もある。地域共通の安全保障を追求することに欧州すべての国が合意し、国際関係や国内統治の共通ルールを確立し、軍事演習や軍隊の移動の綿密な計画を事前に公表することで軍の透明性を維持し相互信頼を醸成している。

 軍事費の負担にあえいでいた社会主義諸国が、信頼醸成に積極的に取り組んだことは、東アジアで多国間主義を構想する上で示唆的である。また、人権や民主主義の共通基準を確立し、人権侵害や少数民族の差別・抑圧を紛争予防の観点から早期解決に協力している。

 紛争予防への取り組みとして、当初は離散家族再会問題といった人道分野での協力、環境・技術交流、文化交流など非政治的な領域から始まった。これも示唆的であろう。社会主義諸国が民主化し、冷戦後の欧州全域で軍縮が急速に進み、もはや戦争など考えられなくなった背景に、多国間主義の知恵と工夫が活かされている。北米と西欧の巨大市場への接近や経済支援への期待が旧社会主義諸国の民主化や平和志向の誘因ともなっている。

 東アジアに多国間安全保障の仕組みを導入するには、アメリカの協力と日本のイニシアチブが必要である。アメリカとの知恵比べだ。

 そのアメリカがアジアに多国間安全保障の仕組みを導入することには乗り気でない。同じテーブルで中小国と対等な立場で話し合うことに超大国は不満である。中小国の口出しがわずらわしい。大国の思う通りには動かない。日本とて準覇権国として、アメリカの意向に反してまで独自のイニシアチブを発揮したくはないであろう。内政干渉を嫌う中国や北朝鮮とて、安易には乗れない相談である。

 今ではOSCEの熱心な推進役のアメリカも、およそ三十年前、OSCE発足時には、この多国間会議への参加を渋っていた。共産主義者と和睦し妥協するような会議への参加にアメリカ国内世論も反対であった。それでもOSCEに渋々参加したのは、二度の世界大戦の惨禍を経験し、国際平和を希求していた西ドイツの強い働きかけに譲歩せざるをえなかったからである、と当時のアメリカ外交の舵取りをしていたキッシンジャーが告白している。アジアではわが国の役目である。日本外交の知恵と行動力が試されている。

(神戸大学教授)