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連載「ニュースの眼」
ニュースの眼

日航機墜落から21年

「御巣鷹の教訓」を後世に

(2006年8月22日付)

 「あの日」の衝撃は、今も鮮明に覚えている。1985年8月12日――。羽田空港を飛び立った日本航空123便が群馬県の御巣鷹(おすたか)山に墜落、単独機事故では史上最悪となる520人もの生命が失われた。

 あれから21年。事故後、遺族が結成した「8・12連絡会」は、互いに励まし、支え合う一方、一貫して事故原因の究明と「空の安全の確立」を訴え続けてきた。その軌跡は、12日に発刊された『旅路 真実を求めて』(上毛新聞社)に詳しい。

 こうした活動がようやく実り、今年4月には日航が「安全啓発センター」(東京・大田区)を開設。事故の原因、経過などを記したパネル、映像のほか、潰れた座席や事故機の残存機体の一部を保存・展示している。社員研修用の施設だが、事前に申し込めば一般の人も見学可能だ。先月からは、犠牲者が機中で残した遺書の現物や複写の公開も始まった。

 「酸素が少ない/気分が悪るい。/機内よりがんばろうの声がする/機体がどうなったのかわからない」

 「ママ/こんな事になるとは残念だ/さようなら/子供達の事をよろしくたのむ/今6時半だ、/飛行機はまわりながら急速に降下中だ/本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」(いずれも原文のまま)

 死の恐怖と戦いながら、必死に刻みつけた最期の文字。実際に目の当たりにして息をのんだ。どんなに恐ろしく、どれだけ無念だったことか。こんな悲劇を絶対に繰り返してはならない。

 『旅路』の帯には作家・山崎豊子氏の言葉が記されている。「悲しみに時効はない――。(中略)520人の犠牲者の声なき声に思いを致し、もう二度と悲惨な事故が起こらないよう、多くの人々に本書の一字、一句を胸に刻んで戴ければ」と。

 だが、こうした願いとは裏腹に、最近も航空機の整備ミスや運航トラブルが相次いでいる。歳月は、人々の記憶を風化させ、事故を知らないという世代も増えた。

 だからこそ「犠牲者の声なき声」を今に伝え、事故の教訓を後世に語り継がねばならない。その役割を担うのは、私たちメディアの責任でもあろう。(落合克志記者)

 ※安全啓発センターの問い合わせは電話03(3747)4491まで。