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連載「ニュースの眼」
ニュースの眼

「憲法とメディア」巡りシンポジウム

展望と視座を提供する課題

(2004年12月14日付)

 昨今、憲法改正論議が盛んだ。先月13日には「憲法とメディア」と題するシンポジウムが、都内で開かれた(主催=メディア総合研究所)。これには、読売・朝日・毎日新聞と琉球新報の論説担当者が出席、活発な議論が交わされた。

 議論の中心は、やはり第9条2項(「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」)の改正について――。

 「シビリアン・コントロール(文民統治)を重視するという条件つきで、自衛隊を軍隊と明記すべき」(読売)、「近隣諸国との関係に始末をつけなければ、改正できないだろう。日本が(侵略的な)戦争をしないというサインが憲法なのだから」(朝日)、「(平和憲法があったから)日本は“普通の国”以上に“風格ある国家”として、アジアの中で名誉ある地位をたもってきた……今の時期、9条改正は適切でない」(琉球)など、様々な意見が相次いだ。

 だが、すべてのパネリストが「(メディアは)考える材料を国民に提供すべき」との認識で一致していた通り、大切なのは、まず何よりも「どういう国を目指すのか。“生き方”を決定しなければならない」(毎日)という点であろう。

 憲法とは、この国の歴史や伝統、価値、規範を体現するものである。戦後民主主義の象徴ともいえる「平和憲法」に手を触れるならば、国民の最大多数の意見の集約こそ、望ましい。その意味からすれば、国民的議論の大々的な喚起が、今の憲法改正論議にもっとも重要な要件ではないか。

 平和主義の定義とは? 自衛権をどう解釈するのか? 国民の義務とは何なのか?――問い直されるべき論点も多いといえよう。

 国民一人ひとりが、国家のグランド・デザイン(展望)と、それに見合う憲法観を打ちたてる。そのための視座を提供することこそ、メディアが今まさに、担うべき課題であると思えてならない。(光沢昭義記者)