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連載「ニュースの眼」
ニュースの眼

被害者匿名報道への一歩を

胸を突く遺族の訴え

(2004年7月27日付)

 長崎県佐世保市で小6女児が殺害された当日、報道陣の前で事件直後の心境を語る被害者の父親の姿に目を見張った。「自分が取材する立場なら話を聞きたい」――全国紙の支局長を務める父親は、そう言って自ら会見に臨み、以後も代理人を通して手記を公表し続けた。報道に携わる者として信念を貫こうとする誠実さとともに、娘を失った悲しみが痛いほど伝わってきて、幾度も胸が締め付けられた。

 特に6月12日の手記は心に焼き付いて離れない。父親は、ニュースや記事で娘の名前や写真が出ると「事件のことを突きつけられるような感覚」になり、「勝手なことなのですが、『もう名前や写真を出さなくてもニュースや記事として成り立つのでは』と思ってしまいます」と、率直な心情を吐露している。

 メディアが何げなく流す被害者の名前や写真が、本人や家族の心の傷をどれほど深くえぐる“凶器”となるか。報道の第一線に立ち、その現場を知り尽くす人の言葉だけに、一層重い。心あるジャーナリストは皆、胸を突かれたにちがいない。

 日本被害者学会の有志が1992年に行った「犯罪被害者実態調査」によれば、多くの被害者、遺族が、事件後の2次被害として「マスコミ取材の不快」を訴えている。しかも、被害者本人が、その原因のトップに挙げているのが「氏名を報道された」ことなのだ(諸澤英道著『被害者支援を創る』岩波書店)。だとすれば、「被害者の匿名報道」こそ、マスメディアが最優先に取り組むべき課題ではないか。

 本紙社会面では、事件・事故の被害者について原則匿名で報道しており、「名前や写真を出さなくてもニュースや記事として成り立つ」ことは実証済みだ。あとは報道する側の人権意識の問題である。

 被害者の声、家族の叫びに、より多くのメディアが耳を澄まし、真の被害者支援に向けて、具体的な一歩を踏み出すことを期待したい。(落合克志記者)