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(2004年3月23日付)
前外相の長女の私生活に関する記事をめぐる『週刊文春』出版差し止めの仮処分決定について、東京地裁は19日、「長女側が重大で回復困難な損害を被る恐れがある」として、文春側の異議を退け、差し止めを認める決定を下した。
これに対し、文春側は決定を不服として東京高裁に抗告を申し立て、早ければ今月中にも決定が出されるという。
しかし、文春側がどんなに「表現の自由」を主張し、読者の「知る権利」を声高に叫ぼうとも、今回の自称“独占スクープ”が、単なるのぞき趣味の低俗なプライバシー侵害記事であることは明らかだ。
この問題について、城西国際大学の野原仁講師(メディア論)は「一私人に過ぎない女性のプライバシーを侵害する記事を“確信犯”的に掲載した週刊文春の報道姿勢が端緒であり、文春側の責任が最も大きい」と指摘。その一方で、「北方ジャーナル訴訟の最高裁判決があるとはいえ、出版の差し止めが検閲と同等の効果を有することを考えれば、できるだけ他の救済措置を選択すべきだった」と語っている。
言うまでもなく、国家権力によるメディアの規制、特に読者の目に触れることすら妨げる事前差し止めは、民主主義社会の根幹にかかわる重大な問題をはらんでいる。こうした決定は慎重の上にも慎重を期すべきだ。
だが、見過ごしてならないのは、一部週刊誌が人権侵害報道を懲りもせず繰り返してきたことが、結局は権力側に介入の口実を与えているという事実である。メディア自身が「表現の自由」を狭め、自らの首を絞める自殺行為であり、これ以上の愚行はない。しかもその累は、業界全体に及ぶのである。
野原氏も「今回のような事件が当局による言論規制強化の口実として世論誘導に利用されている現状に、メディア側がもっと危機感を持つとともに、市民の側もメディアと権力の動きをチェックしていくことが重要だ」と鋭く警鐘を鳴らしている。
今回の決定は、金儲けのために好き勝手な報道を繰り返してきた低俗メディアに対する厳しい警告にほかならない。同時に、メディア全体の自浄作用が試されているとも言えよう。人権擁護の取り組みを自主的に強化するとともに、市民も巻き込んだメディア責任制度の確立が、いよいよ急務となっている。(落合克志記者)
解説『週刊文春』の出版差し止め問題では、表現の自由とプライバシー保護のどちらを優先させるべきかが争点となった。
知事選立候補者の中傷記事をめぐって争われた「北方ジャーナル訴訟」で、最高裁は1986年、「出版物の事前差し止めは厳格で明確な要件の下でのみ許される」と明示。その要件として「内容が真実でないか、公益を図る目的でないことが明白で、被害者が重大で回復困難な損害を受ける恐れがあるとき」を挙げ、以後の判断基準になった。
今回の東京地裁の決定も、その枠組みに沿って差し止めの可否を検討。まず、長女の立場について「純然たる私人で、報道に公益目的は認められない」と判断した。
さらに「知られたくない情報を公表しないように求めたのに、毎週数十万部発行の媒体に暴露されると、精神的衝撃を受ける恐れがある」と損害の重大性を指摘した。
また、書かれる側の「名誉権」が問題になった北方ジャーナル訴訟と比較し、「名誉は謝罪広告などで回復を図る余地があるが、プライバシーは広く知られると回復不可能。事前差し止めの必要性はより高い」として、プライバシー権を重視する姿勢を示した。