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連載「ニュースの眼」
ニュースの眼

茨城・女子大生殺人事件

「好奇の目」助長する週刊誌報道

(2004年2月24日付)

 先月、茨城で起きた女子大生殺人事件で、被害者のプライバシーを侵害する報道が目についた。

 特に悪質だったのは『週刊文春』だ。まず2月19日号では、広告に被害者の顔写真ばかりか実名まで掲載し、興味本位の下劣な見出しで読者の目を引こうと企てた。記事でも、痛ましい殺害状況を必要以上に詳述した上、友人らのコメントを基に被害者の交友関係を暴露。結局は「コイツが怪しい」という雰囲気を漂わせるだけの、無責任な文章で終わっている。一体、何のための報道か、首をかしげざるを得ない。

 そもそも、犯罪報道の意義としては、(1)市民への情報提供と注意喚起(2)事件解決と再発防止、被害者支援に寄与(3)適正な捜査が行われているかの権力チェック――などが挙げられる。

 2月26日号の文春記事も、一応、捜査の遅れを懸念するポーズは取っているが、権力チェックという使命感など微塵も感じられない。まるで推理ゲームを楽しむかのような軽薄さだ。

 以前、本欄でも紹介したが、西日本新聞が犯罪被害者の声や、置かれた立場を伝える連載を組み、反響を呼んだ。真摯な記事に心打たれた読者からは、こんな声が寄せられたという。

 「凶悪事件が起きると、ニュースを好奇に満ちた目でながめるだけでした。ごめんなさい。これからは心の加害者にはなりません」(『犯罪被害者の人権を考える』西日本新聞社刊)

 最近では、大きな事件が起きると、インターネットの掲示板で面白半分に「犯人の本命は××だ」などと憶測をめぐらせる書き込みが目立つ。しかもその情報源は、週刊誌などの記事であることが多い。『週刊文春』のごとき人権侵害メディアが、読者の「好奇に満ちた目」を助長し、「心の加害者」を大量に生む土壌となっているのだ。私たちの社会をじわりと蝕む一部週刊誌報道の“害毒”を断じて看過してはならない。(落合克志記者)