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(2004年2月10日付)
メディアによる報道被害が問題視されて久しい。被害者の苦しみに目を向ければ、批判は当然ともいえるが、それと表裏の関係にある「報道加害」の立場については、意外に見落としがちではないだろうか。
同志社大学・浅野健一教授の近著『「報道加害」の現場を歩く』(社会評論社刊)は、報道被害を生み出す「加害者」としてのマスコミの問題点に、元記者ならではの鋭い切り口で迫っていく。具体的な事件の中身を分析しながら、報道被害の構造的要因をはじめ、人権感覚に乏しい大手メディア幹部や御用学者の存在、現場記者の苦悩に至るまで、多様な論点を提示している。
例えば、昨年7月に起きた「長崎の男児転落死事件」では、中学1年生の少年に殺意があったか否かについて、マスコミが警察のリーク情報に踊らされていたことや、集中豪雨的な取材・報道によって個人と地域社会の生活がひどく脅かされた点を指摘。また、長崎新聞が少年の両親と信頼関係を築き、取材したことを評価する一方、現場記者や被害者の“痛み”に無感覚な専門家の言動を厳しく糾弾している。
本紙のインタビューで、浅野氏は「新潮社に代表される大手メディアは、ある意味で“人権侵害企業”。しかしながら、彼らは、その認識をまったく欠いている」「専門家の反市民的な言動に反論するためにも、メディア責任制度が一刻も早く確立されなければならない」と強調した。
「表現の自由」を振りかざし、市民の平穏な生活を脅かすだけのジャーナリズムであるならば、もはや何ら社会的意義を見いだせまい――市民の信頼がゆらぐマスコミに、本書は数多くの警鐘を鳴らしている。(光沢昭義記者)