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(2003年12月23日付)
イラクで銃撃され、死亡した二人の日本人外交官の遺体写真を『週刊現代』(12月20・27日合併号)が掲載した。ティクリットの病院に収容されたところを海外の通信社が撮影、配信したもので、顔などに弾痕が残る生々しい写真だ。
同誌は「遺族たちの悲しみは察してあまりある」と同情してみせながら、「日本の権力者たちは、派兵を決定する前に、イラク戦争の犠牲になった二人のこの写真を正視すべき」などと書く。一見、もっともらしい理由だが、額面通りには受け取れない。同誌はかつて、茨城県東海村の臨界事故で亡くなった男性の病床での写真を無断掲載し、遺族らから猛烈な非難を浴びた“前科”があるからだ。
紛争の悲惨さを伝えることがジャーナリストの責務であることは言うまでもない。自衛隊派遣についての問題提起も必要だろう。しかし、そのための手段として、安直に犠牲者を利用する同誌の手法には賛成できない。
米国の著名な批評家、スーザン・ソンタグは、戦争と映像について論じた著書『他者の苦痛へのまなざし』(北條文緒訳、みすず書房刊)で、「(戦争で)傷つき痛んだ死体の映像はわれわれにとってもっとも馴染みのない場所にあり、したがって名前を知ることはないと思われる人々の死体である。被写体が近い存在である場合、写真家は思慮深さを要求される」と指摘している。
特に近親者が目にする可能性がある場合、遺体にカメラを向ける者はもちろん、その映像を広めるメディアの人間にも、より以上の配慮と覚悟が求められるのは当然だ。
一度ならず二度までも、犠牲者の写真をしたり顔で掲載し、遺族の気持ちを踏みにじる『週刊現代』の傲岸不遜な態度は、もはや抜きがたい体質と言ってよい。その陰に「売らんがため」という下心を少なからず感じるのは、私一人ではないだろう。(落合克志記者)