![]()
(2002年9月24日付)
文学は往々にして、現実社会を切り取る。実在する人物が、小説のモデルになることもあるだろう。だが一方、書かれる側は、作品を通して、プライバシーを侵害される恐れがつねにつきまとう――。
現在、小説『石に泳ぐ魚』(柳美里著)をめぐる裁判が注目を集めている。まさに、文学表現の自由と、書かれる側の人権との関係が争点になっているからだ。
この小説は、月刊誌『新潮』(1994年9月号)に掲載された。顔の腫瘍や出身大学、父親の経歴など、登場人物の女性が著者の知人にそっくりであったため、その知人は「プライバシーを侵害され、精神的苦痛を受けた」として、柳さんと発行元の新潮社などを提訴した。最高裁はきょう(24日)、柳さん側に小説の出版差し止めと130万円の損害賠償を命じた1、2審判決を支持し上告を棄却。柳さん側の敗訴が確定する。
市民団体「人権と報道関西の会」事務局の木村哲也弁護士は、一連の判決について、こう論評する。
「文学の社会的意義がどんなに高くても、また当該文学の芸術性が高いとしても、現実に人の心を傷つけることが正当化されるものではない。きわめて妥当な判決といえる」
過去を遡れば、三島由紀夫の小説『宴のあと』でも、同様の論点をめぐり法廷で争われた。判決では、プライバシー権に法的保護を与えるべきなのは「言うまでもないところ」と断言、この手の裁判の先例となっている。(『ジャーナリズムと法』奥平康弘著)
社会の人権意識は、これまでにない高まりをみせている。書く側にとっても、これまで以上に、高い見識と確たる価値観が求められている。その意味からいえば、本判決は、たとえ文学の表現方法に制限を加えたとしても、社会的、時代的要請に応えたものとして、ながく評価されるにちがいない。
(光沢昭義記者)