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(2002年8月13日付)
それは、見るに堪えない光景だった。先月22日のこと、群馬県で散弾銃を持った男に拉致された19歳の専門学校生が無事保護され、栃木県警鹿沼署に入る様子をテレビが生中継で伝えていた。
被害者の女性が車を降りた瞬間、待ち構えていた報道陣が先を争い、身を乗り出して撮影を始めたのだ。押されてよろめく被害者。レンズを避けるようにうつむく彼女の顔を、下からのぞき込んで撮影する映像を見た時は、激しい怒りが込み上げた。
翌日の朝刊もほとんどが鹿沼署を出入りする彼女の写真を掲載。顔を出さぬよう配慮したためか、帽子をかぶった後頭部しか写っていないものもあった。この写真が一体、読者に何を伝えるのだろうか?
被害者を原則匿名で報道している本紙はもちろん、在京の主要全国紙では、読売新聞と日本経済新聞が被害者の写真使用を取りやめた。読売は「人権の尊重」を第一に掲げる同紙の「記者行動規範」を順守し、「被害者の人権を総合的に判断」(東京本社広報部)して、また、日経は「被害者は未成年であり、人権擁護の観点も含め編集上の総合判断から」(秋山光人広報担当部長)、それぞれ写真掲載を見送ったという。横並び志向の強い業界だけに、両社の見識の高さは際立つ。
近年、活発化する「犯罪被害者支援」論議の中でも、心ない取材・報道は2次被害の元凶とされ、深刻な問題となっている。
死の恐怖から逃れたばかりの、しかも未成年の被害者に、なぜカメラを向けるのか。その画を当然のごとく報道するメディアに「人権感覚のマヒ」を感じるのは私だけだろうか。この種の報道の繰り返しが人権軽視の風潮を生み、悪質な報道被害を許す温床となるのではないか――。報じる側も、見る側も、今回の報道のもつ意味を、もう一度問い直してみるべきだ。(落合克志記者)