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連載「ニュースの眼」
ニュースの眼

検証:日韓共催W杯報道

ジャーナリズムに問われる歴史観

(2002年6月25日付)

 5月31日に開幕した「日韓共催」のサッカー・ワールドカップ(W杯)もベスト4が出そろい、大会は大詰めを迎えている。韓国は快進撃を続け、日本も決勝トーナメント進出を果たした。両国の代表がそろって華々しい活躍を見せたことは喜ばしい限りである。両国民が熱狂に酔いしれたのも当然かもしれない。

 「共催」は、今大会の最大の特徴である。過去の歴史に“深い傷”を残す隣国同士が手を携え協力し合う。日韓関係の未来をうらなう上でも一つの試金石であった。マスコミ報道もまた、国民同士の相互理解を深めるために一役を期待されたのだが、果たして十分に供しえたか。

 この問題について、在日コリアンで、人材育成コンサルタントの辛淑玉氏の指摘は厳しく鋭い。

 「マスコミ報道は、過去の歴史にふれなかった。“昔のことはもういいじゃないか”と、居心地のいい環境を恣意的に作りだしたのではないか。むき出しの闘争心と金とナショナリズムを前面に出したノスタルジーとしての民族主義の祭典は、歴史の無知を広げるだけ。決して両国の未来の発展に寄与しない」と。

 ふれあいKJクラブ(韓日共同応援団)事務局長の鄭龍男氏の意見も同じく興味深い。

 「共催を通して、両チームの健闘はもちろん、両国の平和と親善を願うサポーター交流や民間レベルの友情交流が大きく進展しているが、その報道が少なかった。ただ、これは編集する側のスタンスではないか。現場の記者は、日韓のサポーター交流や人や文化、社会環境など、試合以外のドラマも頑張って取材していた。感謝している」

 W杯報道は、メディアにはらむ問題点を明確に示してくれた。ジャーナリズムとは“歴史の証人”たるべきである。決して上滑りの情報を垂れ流してはならない。両国が真の友好を結ぶために、いま報道は何を伝えるべきか――マスコミ人として、その使命と責任の重さをあらためて痛感させられる。 (光沢昭義記者)