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宮武外骨と現在

連載コラム
宮武外骨と現在
砂古口早苗

【5】=完


88年の生涯から学ぶ“新鮮さ”
国家悪を糾弾し先見性を発揮

(2000年12月26日付)


 宮武外骨とは一体何者だったのか。外骨は八十八年の生涯を通じて、何を言おうとしたのか。手がかりとして、外骨の主な言動をここに並べてみよう。

 ▼痛快この上ない言動の数々

 (1)親からもらった三百円で神戸の英国人から自転車を買い、高松の商店街で乗り回す。(2)自分で自分の名前を外骨と改名する。(3)大日本帝国憲法の非民権性に怒り、自ら出版した『頓智(とんち)協会雑誌』でパロディーにし、不敬罪で初入獄。(4)大阪で『滑稽(こっけい)新聞』を創刊し、権力の不正・横暴を暴く。(5)選挙界革命者と名乗り、総選挙に二度出馬し二度落選する。(6)大正デモクラシーに共鳴し、「民本党」を結成。(7)姓や氏が差別の根源とし、宮武という姓は用いないと廃姓宣言。(8)墓はあってもハカナイと、墳墓廃止宣言。(9)自分の死後の肉体を心配し、「死体買取人を求む」という新聞広告を出す。(10)関東大震災で多くの新聞雑誌が焼失したことを嘆き、東大に「明治新聞雑誌文庫」創設。

 これだけでも、外骨が並みの人間ではないということがわかる。現代ならまだしも、一世紀以上も前にこんな人がいたのかと思うと、痛快このうえない。ただし、身内にこんな人がいたら、ちょっと困るかもしれない。

 ▼外国人の参政権も先駆けて提唱

 (1)と(2)は、ちょっと才気煥発な金持ちの坊ちゃんというところだが、(3)はすごい。本人は(1)と(2)の延長のつもりだったのだが…。(4)は(3)のおかげもあってすでに確信犯的ジャーナリスト。もう誰にも止められない。外骨は生涯に筆禍で四回、計四年入獄している。

 最初は『頓智協会雑誌』の不敬罪、二十二歳。二回目が『滑稽新聞』で官吏侮辱罪、三十七歳。三回目は『大阪滑稽新聞』で治安妨害罪、四十三歳。四回目が『日刊不二』で秩序壊乱(かいらん)罪、四十六歳。面白いのは、二回目と三回目の入獄の際、本人と弁護士ら支援者で、入獄祝賀会というのをやっている。場所は「浪華一等の料理店堺卯楼」と「中之島の銀水楼」。どうせやるなら高級料亭、というわけだ。

 ちなみに三回目は出獄祝賀会もやっている。悪いのは司法であり、国家なのだという確信があるから、怖いものなし。監獄行きさえ楽しんでいたふしも感じられる。だから外骨の生涯には悲そう感がない。

 (5)は外骨ならやりかねないという気がする。ただし外骨の出馬は当選目的ではなく不正候補者を落選させるため。それを暴く外骨の演説会は有料で、しかも大入り満員だった。投票日前に「落選報告演説会」を開き、「入場料金三銭、貧民無料、新聞記者は貧民同様無料」とした。痛快。

 (6)、外骨の書いた『民本主義』は進歩的で、十綱領ある中の「三、世界の大勢に順応し正義人道によって永久の平和を樹立する事、軍国主義の侵略を排する事、徴兵制度を廃し義勇軍組織となす事、日本領土内の異民族に対して自治権を与うる事」の項は当局の怒りを買い、国憲紊乱(こっけんびんらん)、治安妨害の罪で罰金百円、『民本主義』は即発禁、一号で廃刊となった。

 今にしてみれば当然のことだが、当時の国家にとって外骨がいかに“危険人物”だったかがわかる。とくに「異民族に自治権を」というのは現在の「外国人参政権」に通じるだろう。八十年たっても実現していないことを外骨は嘆くにちがいない。

 (7)は戸籍や民法上の差別に対する不満、(8)は散骨などの自由葬送思想、(9)は死後の献体といった考えに通じる。(10)は新聞・雑誌(情報)は商品であると同時に国民の共有財産、歴史の証人、としたことだ。外骨の先見性、新鮮さを感じずにはいられない。

(フリーライター)