![]()
(2000年8月22日付)
明治・大正・昭和初期にわたり自ら刊行した著作物で政治家や官僚の横暴、また明 治憲法や差別制度、悪徳業者や悪徳ジャーナリズムなどにことごとく筆誅(ひっちゅ う)を加えた宮武外骨。彼がジャーナリストとして生涯一貫して主張したことは、現 憲法の言う主権在民、表現の自由に他ならなかった。
外骨流表現の特異な韜晦(とうかい)性、どのイデオロギーや組織にも属すことの
なかった生き方は、今日まで必ずしも多くの人々に理解を得られなかったが、その主
張がいかに新鮮かつ合理的であるかを改めて考えさせられる。そこから現代日本のジ
ャーナリズムが直面している様々な問題の本質を浮上させ、解決のヒントを見いだす
ことができれば幸いだ。
◇
明治半ば以降、日本は近代化の名のもとに急速に中央集権制の確立と富国強兵策を 打ち出した。多くの新聞が次々と開戦論・国権論を展開して国家権力を支える、いわ ば御用新聞と化す様を目のあたりにした外骨は、一九〇一年(明治三十四年)、大阪 で『滑稽(こっけい)新聞』を創刊。創刊にあたり、外骨はその目的をこう書いてい る。
「…哲学上よりいへば本誌は則ち理想主義と称すべく政治上よりいへば進歩主義、 経済上よりいへば実利主義、宗教上よりいへば楽天主義を持し、更に進んで編集上よ りいへば遊び主義にして、発行上よりいへば金儲け主義なり…」
明治政府の言論弾圧に対抗する外骨流決意表明、対決姿勢だ。しなやかでしたた か、とはこのことを言うのだろう。真正面から国家にぶつかれば、個人などたちどこ ろに潰(つぶ)されてしまう。それでも言いたいことを言うにはどうしたらいいのか ……。
それには諧謔(かいぎゃく)風刺しかない、と外骨は考えた。性格なのか作戦なの か、おそらく両方だろう。痛烈なのだがユーモアたっぷり、というのが外骨流。それ を表現したのが表紙のコピーだ。
「天下独特の癇癪(かんしゃく)を経とし色気を緯とす過激にして愛嬌あり」「威 武に屈せず富貴に淫せずユスリもやらずハッタリもせず」
ちなみにこの“ユスリ”の文字は太字である。色っぽさとユーモアあふれる表紙絵 と共に、ビジュアルな要素も重視した外骨の編集者としてのセンスがうかがえる。
外骨のポリシーをひとことで言うと、反権力ではなく非権力。非組織的、非運動 的、一匹狼。なかでも日清・日露戦争に対して“反戦”ではなく“非戦論”を掲げて の当局への批判は象徴的だ。
言論の自由のない時代で反権力を掲げればたちまち潰されるか、逆に権力に取り込 まれて権力の公報にされる。大新聞がいい例だ。真っ向からの反戦ではなく、威勢の いい開戦論をからかうのだ。権力者の横暴を暴いて茶化す、いわばジャーナリズムの 本領である真のスキャンダリズムを追求しよう。庶民に支持されないジャーナリズム はありえない……、それが外骨の信念だった。
明治二十二年発布の大日本帝国憲法を揶揄(やゆ)して最初の入獄以来、罰金・発 禁・投獄など度重なる弾圧に嫌気がさし明治四十一年、外骨は『滑稽新聞』を自ら廃 刊する。だが、国家が個人にふるう暴力というものの本質を真に知らされたのは、明 治四十三年の大逆事件だった。
『平民新聞』に資金援助し、多くの社会主義者とも交流のあった外骨は、冤罪(え んざい)である幸徳秋水らが死刑に処せられたことに大きな衝撃を受ける。だがジャ ーナリストとして庶民の立場に身を置く外骨は、天皇制の矛盾を真正面から突くこと を避けた。彼らに共感しながらも、極端な社会主義や無政府主義が当時の庶民に受け 入れられないことを外骨は実感していたからだ。
日清・日露戦争の勝利に浮かれ、時代は大正に移る。外骨は吉野作造の掲げる民本 主義の理念に共鳴するが、あくまで学者である吉野の西洋理想主義は庶民に根付か ず、大正デモクラシーは衰退。やがて昭和の恐慌は日本を軍国主義に引きずり込む。 外骨の反骨精神は、生きながら抹殺されたかにみえた。(フリーライター)