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メディアのページ

アメリカ中西部から見るメディア社会

大庭絵里

(2005年7月12日付)


マイケル・ジャクソン裁判に思う

大衆の娯楽としての醜聞


 先月の本欄で、コロンビア市のある殺人事件に関する裁判報道を紹介していた頃、全米レベルではマイケル・ジャクソン氏の裁判の報道が連日、展開されていた。

 2004年4月に告訴され、今年6月13日、少年に対する性的な虐待、わいせつ行為、酒類を飲ませた罪などの10の罪に対して、すべて無罪という評決がくだされた。有罪ならば20年以下の服役となる。アメリカだけでなく全世界が注目するのも当然かもしれない。

 テレビや週刊誌では、当初、ジャクソン氏の有罪は「確実視」されており、判事によって却下された証拠や証人の発言がとりあげられ、ジャクソン氏の疑惑はさらに拡大されていった。

 深夜のテレビ番組や週刊誌では、ジャクソン氏を揶揄、嘲笑の対象として扱い、それも中傷といってもよいようなジョークを連発した。

 たとえば、NBCの夜のトークショー司会者で、ジャクソン氏への揶揄で有名なレノ氏は、弁護側の証人として、告訴少年の母親が彼に対してもゆすりまがいの行為をしたと証言したのだが(証言台ではジャクソン氏については一切発言していない)、「私を弁護側証人として呼ぶなんて、弁護士は、私の番組を見ていないのではないか?」と番組で発言し、オーディエンス(視聴者)の笑いをかっていた。

 裁判後の陪審員へのインタビューからわかるように、陪審員はこの裁判における被害少年の母親に対してかなりの不信感や嫌悪感を抱いていた。裁判の中で、この母親がかなり以前から少年を使って有名人からお金をとろうとしたことや、その他の詐欺行為が明らかになり、また法廷での態度も良くないという事情もあった。メディアもそれを意識し、告訴人はペテン師か? と一時は騒いだ。

 無罪判決についてのメディアにおける反応では、O・J・シンプソン氏の判決と比較するコメント(またも無罪であることへの憤り)や、被告人が世界的な有名人であるために陪審が影響されたのではないのかと、無罪へのとまどいが見受けられた。この裁判では無罪であるが、他の子どもへのケースでは有罪にちがいない、というコメントもあった。また、彼の芸能界での生き残りを危ぶむ声も小さくなかった。

 一部のメディアでは、刑事裁判の証人や証拠の一つ一つが大衆の娯楽の対象と化してしまう。芸能人のスキャンダルと他人の不幸・犯罪をメディアは娯楽化し、それを人々は消費する。その一方で、アメリカのメディアには、様々な抑圧的状況がせまってきている。「自由の国」アメリカは「不自由の国」になりつつあるというのに、人々の関心はこうした事件にそらされてしまう。

 この一年、アメリカの犯罪事件や裁判報道を見てきたが、それらは本来、どのように報道されるべきなのか、あらためて考えさせられた。人々の犯罪への不安と犯罪への好奇心は表裏一体である。

 犯罪事件を報道することの社会的意味を、私たちは問い直さなくてはならない。

 (神奈川大学助教授、ミズーリ大学コロンビア校客員研究員)