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アメリカ中西部から見るメディア社会

大庭絵里

(2005年6月14日付)


ある陪審裁判報道に思う

プライバシー暴き問題


 昨年6月5日、ミズーリ大学コロンビア校の学生V氏(23)の死体が隣家の庭で発見された。顔には複数の打撲と切り傷があり、のどを切られていた。その6日後、学生を殺害したとされる被疑者が逮捕された。コロンビア市の元警察官R氏(28)だった(事件後の6月下旬に辞職)。

 彼と被害者との間に同性愛関係があったことや、現職の警察官による殺人事件であることから、地元の新聞やテレビは発生直後からこの事件を大きく報道していた。同年9月にR氏は第1級殺人で起訴された。

 その裁判が今年5月17日から始まった。陪審員は、事件の起こったコロンビア市とは異なる地域から選ばれた。被告人のR氏の弁護は公選弁護人が担当していた。検察側は延べ60人以上の証人を証言台に立たせ、R氏が有罪か無罪かを争うこの裁判は5日間続いた。

 V氏は、事件の起きる約2カ月前、V氏のパーティーの騒音問題を取り調べにきた警察官R氏と出会った。その後、V氏とR氏は何回か同性愛関係をもつ。R氏は既婚者である。V氏はR氏を快く思っていなかったことを友人に話していたという。検察によれば、R氏はV氏から二人の関係を警察に知らせると言われ、それを封じるためにV氏を殺害したという。しかし、凶器のナイフは見つかっていない。

 V氏の爪から採取されたものはR氏のDNAと一致するとされ、V氏の身体についた毛髪はR氏のものとされた。しかし、それらがいつのものであるのか不明である、と弁護側は主張する。事件の6日前に二人は会っているのである。

 検察によれば、検死解剖の結果から判断される凶器のナイフの型は、かつてR氏が所有していたものと同じであるという。彼のナイフを目撃したことがあるという証言が数人の同僚からなされた。しかし、その凶器自体は発見されていない。

 V氏の最後の姿を見たという証言、またR氏が勤務を終えて、同僚とビールを飲み、帰宅したことに関する証言から、短い時間内にR氏がV氏を殺害し、帰宅することになるのだが、弁護側はそれを不可能であると主張し、検察は可能であると主張する。

 まるで、ドラマを見ているかのように、裁判報道が展開される。ここでの問題の一つは、被告人、被害者の私生活がどこまで報道されるべきかということである。被告人と被害者の関係が殺人と関係するために、二人の同性愛関係がある程度公開されるのは、やむを得ないかもしれない。しかし、具体的な性行為や、被告人と被害者以外の男性をもまきこむ性関係の証言を詳細に報道する必要はあるのだろうか。

 検察は被告人の行状の悪さを強調し、それが事件に結びつくと主張するために、R氏が同僚警察官にうそをついたり、同僚の名前を自分の氏名としてV氏に伝えたり、過去に詐欺まがいの行為をしたことなどを複数の証人に証言させる。彼は事件後に自殺を2度はかるのだが、それが彼の演技によるものであると推察させるような証言も、検察は臨床心理の専門家から引き出す。

 メディアがこうした証言を伝えなくてはならないにしても(そのこと自体も議論すべきだが)、問題はその報道の仕方である。証言は何らかの文脈や枠組によって解釈が変わることに、メディアは留意すべきである。

 今回の場合、地元紙の視点は決して公平ではなく、検察と同じ視点で、R氏を非難する形で裁判報道が続けられた。読者は検察の視点から事件を判断するように導かれる。検察側の証人の証言からは、R氏が悪人で、V氏を殺害しそうな人であるという印象が深まるばかりである。しかしながら、今回の裁判についてメディアがもっとも重視すべきであった問題は、状況証拠しかないこの事件で、被告人を有罪にできるのかという議論である。

 R氏は有罪となり、仮釈放なしの終身刑となる。弁護側は控訴する予定のようである。メディアは、裁判の流れを批判的に見つめて報道する必要があるのではないだろうか。

 (神奈川大学助教授、ミズーリ大学コロンビア校客員研究員)